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紺碧の将

堅牢で美しい姫路城

2021.09.20

 5年をかけた大修復工事が終わった姫路城を見たいとずっと思っていたが、ついに念願がかなった。

 初めて姫路城を見たのは2009年。その姿はあまりに美しく、とてもこの世のものとは思えないほどだった。私は小欄に「姫路城を見て何も感じないとしたら、人間をやめて冷蔵庫にでもなった方がいい」とさえ書いた。その後、大改修工事中も訪れた。

 同じ国宝でも、松本城や松江城は全体が黒。男っぽくて物々しい雰囲気を漂わせている。対して、姫路城は〝白鷺城〟という異名もあるほど白が基調になっている。なんとも優雅である。

 風景のなかで、白は意外に目立つ。それゆえ、戦時中は空襲を免れるため、白い漆喰を黒く塗って爆撃の目標にならないようにしたという。戦禍を免れたのは米軍の意向があったと思うが、国家存亡の危機にあってもこの城を守りたいという人々の思いがあったことは事実。築城から400年を経過した今も、壮大な設計思想と職人の手業が往時と変わらぬ姿で残っているのは、じつにありがたいことである。

 この城を見れば、日本人の美意識が世界でも抜きん出ていたことがわかる。1993年、世界遺産に登録されたのは、当然といえば当然のこと。むしろ遅すぎたと言うべきだろう。

 

 姫路へ向かう前、BSプレミアム放送で、姫路城の建築法について詳しく紹介した番組を見ていたのが幸いした。いかに防御能力と美観を高いレベルで結実させた城であるかをあらためて認識することができた。

 大手門をくぐり、天守閣をめざして進むと、路は頻繁に向きを変える。時にはほぼ180°急旋回する所もある。白い漆喰壁には至る所、狭間(さま)という鉄砲で狙いをつける窓が空いている。運良く、天守閣に達したとしても、大半が討ち死にする運命だったろう。実際、戦闘が行われることがなかったため、姫路城の防御能力がどれほど高かったか証明されなかったが、自分が攻める側の一員だったと想定しながら歩いていくだけで冷や汗が流れてきそうだった。

 姫路城のなりたちは、羽柴秀吉の石垣造営に遡る。その後、池田輝政が本格的に築城、本多忠政が改修した。漆喰は水に弱いため、ほぼ30年に一度、左官工事が必要だという。それをずっと続けてきたから、あの美しさが保たれている。

 大手門の前に立ち天守閣を見ると、視界に余計な物はいっさいない。それが街の品格を高めている。ただし、〝画竜点睛を欠く〟の言葉通り、姫路駅へ向かう大きな通りの真ん中あたりに位置する地元資本のデパートの巨大な屋上看板がひどく無粋だった。しかし現在、修復工事のため足場が組まれている。足場がなくなったとき、「ヤマトヤシキ」という大きな文字がなくなっていることを願う。なにしろ日本の宝であり、世界の遺産でもあるのだから。

 

堀から見た天守閣

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

堀も威風がある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どこから見ても絵になる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1000近くもある狭間(射撃用の窓)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

随所に白い漆喰が化粧されている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天守閣を貫く大柱(2本のうちのひとつ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

間近から見上げる天守閣

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

姫路城に隣接した好古園からも天守閣が見える

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(210920 第1094回)

 

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