能登に刻まれた爪痕
富山へ行ったついでに、能登半島をぐるっと一周してきた。20代の頃、半島のつけ根まで行ったことはあるが、それ以上は行ったことがなかったからだ。
2024年1月1日、能登は激震に見舞われ、甚大な被害を蒙った。追い打ちをかけられるように、その年の9月、台風の直撃を受け、被害が拡大した。その後、熊本や千葉での災害が続き、ニュースで報じられることがなくなっていたから、現状はどうなのだろうと思っていた。
行って驚いた。能登を襲った自然災害の爪痕が随所に残っているのだ。損壊した道路の復旧工事がいまだに至るところで行われ、片側通行のため、思うように進むことができない。仮設住宅もたくさんある。今はどこへ行っても観光客がワンサカいるが、輪島でさえ閑散としている。今回は輪島漆を求めることも楽しみのひとつにしていたが、輪島の中心部に並ぶ漆器店のほとんどが閉店したままで、観光案内所の人によると、再開の目処がたっていないという。自然災害の過酷な惨状を目の当たりにして、心が痛んだ。
忘れられ輪島のひとの哀しみよ
昨年くらいから、旅先でヘタな俳句を詠んでいる。写真よりもそのときに感じたことを表すことができる。
せめてもの、と思い、輪島塗会館で一枚の菓子皿を求めた。美しい。

半島の先端の方に、軍艦島と異名をとっている見附島がある。ネットに震災前後の映像があった。これを見ると、姿がずいぶん変わってしまったことがわかる。
https://www.yomiuri.co.jp/topics/mitsukejima-Island-3d/
見附島見んと転ばむおとこかな
見附島を見ようとして波打ち際ギリギリまで歩き、滑って転んだ間抜けな男がいた。さて、それは誰でしょう?
輪島の近くに、千枚田と呼ばれる棚田がある。能登は平地が少ないため、海岸近くの急峻なところに田んぼをつくっていたのだ。今は田んぼの一枚一枚がオーナー制になっている。長く維持するには、有徳者の力添えが必要だろう。
田千枚ちから仕事の記憶かな

車で走っていると、至るところ山が崩れているのがわかる。その大半は植林されたスギ林だ。戦後の高度成長期、住宅建材のため大量に植林されたが、その後、海外から安価な木材が入ってきたことで放置された。
崩落した山の断面から林のなかが見えた。間伐しなかったため、密集して生育したことによって太陽の光が届かず、薄暗い。あれでは雑草をはじめ、生き物が少ないだろう。死んだ林と言っていい。スギのように短期間で生育する樹木は根が浅い。それも山が崩落した一因だろう。
自分たちはなんでもわかっているという錯覚によってなされた国策が、数十年を経て、こういう形でしっぺ返しを誘発する。なんとも皮肉な話である。
この国に生きる以上、自然災害と無縁ではいられない。日々安寧に暮らせる幸福をあらためてかみしめることとなった。次は自分が被災者になるとも限らないのだから。
(261004 第1338回)
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