幸せはどこにある?(4)
お金を追いすぎてはいけないし、お金に追われるのは論外。お金という亡者には一定の距離感が必要だ。
「世の中、金じゃない」と言う人も「金で買えないものはない」と嘯く人も断じて間違っている。お金は大切なものであり、それなくして正常な生活は営めない。にもかかわらず、お金の価値を認めようとしないのは、いつしか金からしっぺ返しを食う。一方、お金はけっして万能ではないし、たくさん持っているからといって必ずしも幸せにはなれるとは限らない。そのことは前回の本コラムで書いた通りである。
とはいえ、人間は思考力が肥大した生き物でもあるため、お金のことを考えるなと言われても考えてしまう。事実、身の周りに溢れる情報の多くは、煎じつめれば「これを買ってほしい」に帰結し、選挙の争点になるのは「だれに得な分配をするか」(=だれに損な分配をするか)だ。制度設計は、人間の金への執着なくしてなりたたない。ひとつの法律によって、人々の行動はいとも簡単に変わってしまう。それほど、人間は「得なこと」に惹かれるのである。
要は、お金とはそういうものだということを認識し、〝魔物〟といかにつきあっていくかを考え、距離感をつかむことではないか。
事業を始めて数年経った頃、頭のなかにはびこるお金のこと(不安や取らぬ狸の皮算用など)を減らしたいと思い、あれこれ考えた。結論は、なるべくお金のことを考えないような状況をつくることと、自分の心持ちを整え、お金のことを必要以上に考えないようにするということだった。大金を追わないことも肝に銘じた。大金を追えば、どうしてもそのことに意識が集中してしまう。自分という人間は大金を扱えるほどの器量はない。もっと違うところで力を発揮したいと思った。
そのとき抱いたイメージは、「空気」だった。空気を吸えなくなれば命は5分と持たない。しかし、それほど重要なものなのに、われわれは空気を意識して生きていない。吸えることが当たり前なのだから。
それと同じように、意識せずとも小金が滞りなく入ってきて、出ていく。そういう循環が続く仕組みをつくろうと思った。
そのためには、本質的な仕事をなりわいにしている、まっとうな会社の信用を得ること、そして堅実な仕事をするスタッフを揃えること。それからはずれたものは、細心の注意をもって吟味し、その主旨からはずれるものには飛びつかない。バブルの勃興期、銀行が融資とセットでいくつもの不動産の案件を持ってきたが、火傷をせずに済んだのは、そういう決意があったからでもある。
いずれにしても、お金とどういうつき合い方をするか、それがきわめて大切であり、その後の人生の幸福度に影響することは明らかだ。
(251201 第1299回)
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