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紺碧の将

格調高い日本文化論としてのスピーチ

file.084『美しい日本の私―その序説』川端康成 講談社現代新書

 

 1968(昭和43)年、日本人初のノーベル文学賞を授与された川端康成の授賞記念講演は、そのまま日本文化論としても通用する格調高いものだった。講演の全文をまとめた本書には、エドワード・サイデンステッカーによる英訳も掲載されている。すべてを読むのに多くの時間は要しないが、奥が深く、本書の滋味を味わうには、ある程度の読解力を要する手強い本でもある。

 川端がノーベル賞を受賞した背景には、本コラムの前々回に紹介したドナルド・キーンが一役かったのだと思う。1968年といえば、日本が世界第2位の経済大国に躍り出た頃。ややもすると日本人がエコノミック・アニマル(金に目がくらんだ禽獣)と見られがちだった時代、川端の文学賞受賞は大きな意味があった。川端自身の偉業はもとより、日本の豊かな文学世界を世界に発信する好機となったからだ。

 紋つき袴で授賞式に臨んだ川端は、翌日、スーツ姿で受賞記念講演を日本語で行なった。「美しい日本の私―その序説」と題された講演は、道元、明恵、西行、良寛、一休などの和歌や詩句を巧みに活用し、日本人的美の真髄を端的に語ることに主眼をおいた。

 

 冒頭、川端はいきなり道元と明恵の和歌を引用して、聴衆を日本的美の世界へといざなう。

 ――春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえて冷しかりけり

という道元の和歌と、

――雲を出でて我にともなふ冬の月風や身にしむ雪や冷めたき

という明恵の和歌である。

 道元は、万物が、本来あるべきそのままの姿で存在していることのスペクタクル、心に宿る無尽蔵の宇宙観を詠い、明恵はこまやかな日本的美意識を流麗な言葉で表現している。いずれにも通ずるのは、自己と自然との邂逅・同化であろう。それらを短い言葉に集約した日本人の知性に、鋭敏な感性をもつ聴衆は感嘆したにちがいない(同時に、感性の鈍い人たちにはさっぱりわからなかったはず)。

 続いて川端は、四季折々の雪月花に触れることの感興を語る。一瞬としてとどまることのないその感動が心に波紋をつくっていく様子、それほど素晴らしいものをだれかとともに見たいという「共感を求める心」に言及し、芥川龍之介が遺書のなかで書いた「末期の眼」へと展開する。人生の末期の眼には自然はなおいっそう美しく映じるものだということ。平常もそのような眼を持ち続けたいという希求の表れでもあろう。

 その後、良寛や一休を用いながら、日本人の「無」について語る。その場合の無は、西欧で言う「なにも無い」ではなく、むしろその反対で、「万有が自在に通ふ空、無涯無辺、無尽蔵の心の宇宙」である。そして、そこから生まれてくる東洋画の精神、生け花などの美意識、日本庭園と西洋の庭園の違いを枯山水などへと展開する。そして『伊勢物語』、『古今集』、『新古今集』、『源氏物語』、『枕草子』など日本の美の文学的系譜に触れる。

 一連の流れは、森や大気から水を集め、一筋の川となって海に流れゆくかのよう。これほど格調高いスピーチは稀だろう。この偉大な文化遺産をスルメのように咀嚼し、繰り返し味わいたい。

 

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