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なにもわからない、なんにもためにならない

file.079『ねじまき鳥クロニクル』村上春樹 新潮社

 

 村上春樹の最高傑作は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と信じて疑わないが、『ねじまき鳥クロニクル』もそれに準ずるくらい完成度が高い。〝得体のしれない〟小説だ。

 とにかく、わけがわからない。読んでも読んでも謎は深まるばかり。ここまで徹底的に「?」をばら撒いておきながら、なに食わぬ顔で「完」としてしまう姿勢に脱帽する。喩えは悪いが、砂の上に細かく砕いた貝殻をぶちまけ、ぐちゃぐちゃにかき混ぜてから、「さて、砂と貝殻はどちらが現実で、どちらが非現実(夢)か?」と訊ねるようなもの。首をかしげていると、「やれやれ」という表情をしながら無言で立ち去っていく。かき混ぜることにも、質問の内容にもこれといって意味はない。にもかかわらず次の作品を読みたくなる。そんなふうに思わせる作家が、ほかにいるだろうか。

 とどのつまり、村上春樹は「わからない」「解決しない」ことを書く小説家なのだ。彼はきっと、言いたいこと(答え)はもっていると思うが、あえてそれを書かない。うやむやにしたまま、読者に答えを委ねる。否、答えなどはなから求めていない。最後まで読み通しても「わからない」「ためにならない」小説を延々書くことは、かなり気力と体力を費消するはず。なんでもそうだが、答えがある方が簡単だ。

 それは、人生にも言える。わからないことが、この世の本質なのだ。事実、どんなに考えてもわからないことの方が多い。こうだと思っても、スルッと手のひらからこぼれ落ちてしまう。世の中はわからないことだらけだから面白い。なんでもすぐに答えを得ようとする現代社会にあって、村上春樹が絶大な人気を博していること自体、不思議である。

 村上春樹が構築した独特の世界に浸ること、それ自体が甘美な読書体験であり、それを純粋に楽しめばいい。彼の作品は、読むこと自体を楽しめる人に向けて書かれたものだから。

 人気や知名度と比べ、村上春樹の文学的評価はさほど高くないようだ。芥川賞にも直木賞にも縁がなかった。しかし、本作は1996年、読売文学賞を受賞し、99年、英訳版『The Wind-Up Bird Chronicle』が国際IMPACダブリン文学賞にノミネートされた。2003年には翻訳者のジェイ・ルービンが野間文芸翻訳賞を受賞している。ちなみに、ジェイ・ルービンの『日々の光』は本コラムでも紹介している。

 

 物語の主人公は、例によって作者自身を投影したと思われる「僕」こと岡田亨。すべてにおいて受け身で虚無的。法律事務所を辞め、炊事、洗濯、掃除など家事にいそしんでいる。叔父から安く借りている世田谷の家に、妻のクミコとネコのワタヤノボル(のちにサワラと改名)と住んでいる。

 編集者として働くクミコとの結婚生活は、それなりに均衡を保っていた。しかし、猫の失跡をきっかけに、少しずつ日常が動き始める。奇妙な人たちが次々と彼の目に現れるのだ。その一人は、マルタ島で修行をしていた経験があり、霊感をもち、いつも赤いビニールの帽子をかぶっている加納マルタ。あるいは、岡田家の近所に住む高校生・笠原メイ。彼女は事故でケガをしてから学校には通わず、家の庭で日光浴をしたり裏の路地を観察している。

 ある日、クミコはなんの前ぶれもなく失踪し、それを契機に、雪崩をうったかのように物事が変転していく。クミコの兄・綿谷昇、加納マルタの妹・加納クレタ、ノモンハン事件に従軍した本田伍長(本田大石)、彼に北満の地で命を助けられた間宮中尉(間宮徳太郎)、富裕層を相手に特殊な仕事をする元ファッションデザイナー赤坂ナツメグ、彼女の息子赤坂シナモン、国会議員になった綿谷昇の秘書牛河……。「僕」の周りに集まる登場人物は荒唐無稽の標本みたいな人たちだ。さらに「僕」が住む家の隣にある井戸や「僕」に電話をかけてくる正体不明の女性など、脈絡のない謎が次から次へと現れる。

 物語を追うのはやめよう。追ったところで理路整然と説明できるわけではないし、めでたくカタがつくわけでもない。読者はよけいな詮索をせず、ただ話の流れに身を任せればいい。あたかも、川を下るラフティングのように。

 ふわふわと謎めいた物語のなかで、ひときわ鮮烈な印象をもたらすシーンがある。純白の雪原に、血みどろの死体が転がっているかのように。それは、モンゴル人による皮はぎの処刑や、旧日本軍兵士による中国人の処刑、シベリア抑留者の過酷な体験など、村上作品には珍しい戦争の描写である。

 村上作品を読んでいて毎回感じることだが、複数の登場人物が「いささか」「ろくでもない」など、一般的でない言葉使いをするのは不自然だ。作者自身が好む言い回しなのだろうが、「僕」だけに言わせておけばいいのでは? 

 

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