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紺碧の将

架空の町と人の壮大な盛衰記

file.060『百年の孤独』ガブリエル・ガルシア=マルケス 鼓直訳 新潮社

 

 人は数値化できないものにも順位をつけたがる。そのひとつの例が、文学の世界ランキング。文学研究者がこぞって世界文学ランキングなるものを選出しているが、どのランキングでも上位に入っているのが、ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』(もうひとつあげるとすれば、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』か)。

 現在、世界最高の権威を持つとされるノルウェー・ブック・クラブの「世界の文学100選」(2002年選定)でもマルケスの作品は2つ選ばれている。

 マルケスは1928年、チェ・ゲバラの記憶を残すコロンビアのカリブ海沿いの村で生まれ育った。学費を稼ぐために新聞記事を書き始めたことがきっかけで文学に興味を抱き、フォークナーの作品に出会って感化された。

 祖父母に預けられた幼年期は、叔母と祖母、そして退役軍人の祖父と過ごした。彼の作品の多くは、祖父母が語ってくれた戦争の話や地域に伝わる民話がベースになっていることが多い。特に祖父は重要な人物だった。『落葉』の老大佐、『大佐に手紙は来ない』の退役軍人、『百年の孤独』のブエンディーア大佐などのモデルになったと言われている。

 ものごころついてから、彼は「エル・エスペクタドル」紙の記者となってローマに滞在するのだが、そこで映画の監督コースを学んだ。そして、いくつものヌーベル・ヴァーグの脚本を書き、メキシコのB級映画の製作に関わった。結果的にそれが文章修業になっていたのだろう。

 1982年、ノーベル文学賞を受賞した『百年の孤独』は、「ラテン・アメリカの黙示録」と言われている。筆者が持っている新潮社版だと細かい文字の2段組で300ページ強ほどの文量だが、文字数よりもその言葉の密度に圧倒される。

 マルケスの小説は、原始の森のように容易に人を招き入れない。それでも各種の世界文学ランキングで最大級の評価をされているのは、相応の理由があるからだ。

 マルケスは、ペルーの作家バルガス・リョサとの対談で、作家の効用についてよく考えると語っている。10代の頃から小説家の本質的役割について深く考えていたと。建築家や医者の役割は明快だが、作家となるとどうもよくわからない。しかし、それでも作家として生きる以外ない、書くことが唯一の仕事であり、それ以外はすべて二次的なものにすぎないと気づいたという。

 本質的な自問自答によって心を濾過し、真摯に取り組んだからこそ、その仕事にはゆるぎないものがある。何のために虚構の世界を描くのかという命題に対する答えが、明白に己の意識に刷り込まれているのだ。

 そして、読者はやがて気づくことになる。フィクションとして書かれているが、実はあらゆる人間に通底するものを包含していることを。マコンドの町の消失は、南米の人たちが味わった艱難と二重写しにもなっている。

 

『百年の孤独』は、ホセ・アルカディオ・ブエンディーアとウルスラ・イグアランを始祖とするブエンディーア一族が、蜃気楼の村「マコンド」をつくり、繁栄させ、やがて滅亡に至るまでの約100年間を描いている。

 近親間での結婚が続いたある村で、豚の尻尾が生えた奇形児が生まれたことを知ったウルスラは性行為を拒否するが、そのことで男に愚弄されたため、ウルスラのまた従兄弟で夫のアルカディオは愚弄した男を殺してしまう。しかしその男がアルカディオとウルスラの前に現れたために、二人は故郷を離れてジャングルを抜け、自分たちの住む場所マコンドを開拓する。そして、ウルスラは近親者との婚姻は許されないという家訓を残した。

 小さな集落にすぎなかったマコンドは村となり、町となり、繁栄するが、ウルスラの家訓は後の代に叔母と甥の恋愛結婚という形で破られ、老ジプシーが予言したとおり、マコンドは消えていく。それとともに、物語の主役を担っていたブエンディーア一族も消滅し、マコンドと一族の盛衰を記した羊皮紙が風に舞う。

 

 とことん虚構である。しかしながら、虚構であるがゆえに、事実よりも真実に近づくこともある。

 マコンドの孤独とは、ブエンディーア一族の孤独とは……。人間が暮らす場所の象徴であるマコンドの盛衰は、ひとりの人間の盛衰、いわゆる生死でもある。

 

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今回は、「雲の鼓」を紹介。雲に鼓とくれば、鬼。「風神雷神図屏風」の雷神が浮かびませんか。そのとおり、「雲の鼓(くものつづみ)」とは「雷」のこと。雲にのって現れた鬼神は〜。続きは……。

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