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紺碧の将

コッケイな生き物のコッケイな話

file.056『壁抜け男』マルセル・エイメ 長島良三訳 角川文庫

 

 人間とはどういう生き物か、ひとことで答えよと言われたら、なんと答えるだろう。言い方は千差万別あるとして、万物の霊長という言葉に代表されるような、この世の中で最もすぐれているものととらえている人が多いにちがいない。

 筆者は、人間とは〝コッケイな生き物〟と思っている。崇高な面と邪悪な面の両面性を抱えつつ、ふだんは社会のルールに合せて生きている不可解な生き物。有史以来、あまたの賢人たちが思想・宗教・哲学・芸術などの分野で人間探求を行ってきたが、彼らの偉大なる所業をもってさえ、人間の本質は解明されていない。否、むしろ不可解さが増すばかりだ。

 マルセル・エイメの小説を読めば、人間はコッケイな生き物だということがわかる。ほかの動植物が言葉を喋れたとら、こう言うにちがいない。「人間? 賢いけれど、どうしようもないほど愚かな生き物だわ」と。

 エイメは1902年、フランスに生まれた。20歳でパリに出て、新聞記者をはじめとする雑多な職業に就き、のちに『緑の牝馬』が映画化されたことによって、作家・劇作家として評価されるようになった。

 この『壁抜け男』はエイメが1943年に書いた寓話の短編集である。どれも着想がユニークだ。人間のおかしみや社会の矛盾を風刺的に描写している。

 表題作の「壁抜け男」に人間の本性が凝縮されている。

 ある日、主人公の独身中年男デュチユールに、壁を通り抜けられる能力が備わる。その能力を使っているうち、それを世の中に知らしめたいと思うようになり、銀行や宝石店の強盗をする。しかし、自分の仕業だと他人に言っても信じてもらえない。そこで彼は一計を案じる。自ら逮捕されるのだ。いつでも脱獄できるのだから、逮捕など怖くない。そうやって、人々を嘲笑うように壁を抜けて捕らえられては脱走することを繰り返すうちに、飽きてしまう。そして、最後は笑うに笑えない事態に陥ってしまう。

 透明人間になれたら……。こんなこともしたい、あれもできると想像をたくましくした人もいるだろう。しかし、どんな超能力も人を幸せにはしない。幸せと感じられるのはほんのいっときだけ。人間の心は一所不住だ。

「サビーヌたち」は、自由自在に分裂できるサビーヌという女性が、同時にいくつもの人生を生きる。しまいには67,000人のサビーヌに分裂するが、ゴリラのような大男にサビーヌの一人が犯され、絞め殺される。それによってすべてのサビーヌが消滅するという物語。

「死んでいる時間」は、2日に1日しか生きていない男の悲劇。2日に1日しか生きられないと、人生はどうなるのか。体験できるはずもないからこそ面白い。

「変身」は、オルゴールに魅せられて殺人を犯した精神障害の男が、神の恩寵により死刑当日、赤子になるという物語。

「七里のブーツ」は、あるブーツを履けば、世界を自由に飛び回ることができると知った子供たちが学校の帰り道、そのブーツがある骨董屋へ出かけていく。実際に七里のブーツを履いた子供はどうなるのか。

 いずれも現実にはありえない話ばかりだが、寓話の形を借りて、作者は人間のコッケイさ、おかしみを描いている。自分も人間であることを忘れ、コッケイさを笑う。いっぽう、なんて憎めない生き物だろうとも思う。

 余談だが、エイメが住んでいたパリのテアトル広場近くに「マルセル・エイメ広場」があり、そこに『壁抜け男』のモニュメントがある(右写真)。わかる人にはわかる。文学のネタがたくさんあるフランスならではの隠れた観光名所だ。

 

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●『葉っぱは見えるが根っこは見えない』

 

●「美しい日本のことば」

 今回は、「藤浪」を紹介。小さな紫の花房が風にたなびいている姿が波を思わせたのでしょう。続きは……。

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