死ぬまでに読むべき300冊の本
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紺碧の将

磨き上げた軽やかさ

file.179『芭蕉全句集』雲英末雄・佐藤勝昭訳注 角川ソフィア文庫

 

 しばしば「無人島に一冊持っていくとしたらなにを選ぶか」という設問を目にする。現実に無人島に行くことはありえないと思いながら、頼まれてもいないのにあれこれ考えてしまう。

 最近、「これかな?」と思う本がある。それが今回紹介する『芭蕉全句集』。その名の通り、芭蕉作と認定できる983句をすべて収めたもの。

 なぜこの本かと問われれば、まず983句すべてを暗唱できるようにするという大きな目標ができる。話し相手が一人もいないわけだから、それに代わる楽しみとしてうってつけの命題である。

 次に、暗唱しながら芭蕉が詠んだ土地へ旅することができる。事実、私は芭蕉の句や西行の和歌を諳んじると、その土地を訪れたかのような感懐を覚える。じつに安上がりの男なのだ。

 

 本コラムのfile.132『芭蕉の風景』(小澤實)の稿で「とくだん一念発起したわけではないが、毎日、湯船に浸かりながら芭蕉の句を暗唱しようと思った。以来、ずっと続けているが、現在覚えている句は125。少しずつ増やし、自分の血肉になっていくのを実感するのが楽しい。まるで心を通わせる友だちが増えていくみたいな感覚だ」と書いたが、今は暗唱できる句が154に増えた。さほど増えていないのは、目下のところ、覚える対象が西行の和歌に変わっているためだ。

 本書の編纂は、じつに手が込んでいる。季語別に配列して通し番号を打ち、出典・訳文・年次・語釈・解説を付記するというもの。句の配列は春・夏・秋・冬・雑(無季)に分けたうえで季語別とし、各季語のなかは各句が詠まれた年代順に並べられている。当代随一の芭蕉の専門家によるものとはいえ、その緻密な仕事ぶりに感動を覚える。

 

 さまざまな人間によってこの世に生まれた俳句は、星の数ほどあるだろう。そのなかにあって、いまだに芭蕉が特別な存在でありえているのは、そのネームバリューの恩恵によるものばかりではない。平易な言葉のなかに、磨きに磨いた言葉のきらめきがあるのだ。しかも、そうまでして磨き上げているのに、至って軽やか。「こんなに軽妙でいいの?」と思うくらい風通しがいい。

 西行の時代は、命がけで各地を旅した。野盗や危険な動物の襲来、厳しい寒さや劣悪な衛生状態などによって命の危険もあったはず。だからか、西行の歌にはどこかしら緊迫感が漂っているが、西行を敬慕した芭蕉の句にはそれがない。芭蕉の時代になると道路も整備され、行く先々で蕉門の歓迎を受け、さながら旅行三昧の趣もあったにちがいない。

 とはいえ、『野ざらし日記』に書いているように、旅の途中、路傍に骸をさらすことになるかもしれないという不安もあったはず。芭蕉が発意し、各地を逍遥するのは晩年(40歳以降)になってからだ。

 『奥の細道』の最初の句、「草の戸も住み替るよぞ雛の家」に万物の生々流転、不易流行が凝縮されている。

 みごとなり!

 

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