死ぬまでに読むべき300冊の本
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紺碧の将

あらゆるものに美を見いだす

file.132『芭蕉の風景』小澤實 ウェッジ

 

 年齢を重ねるごとに芭蕉のすごさがわかってくるというのは、日本人の遺伝子に組み込まれているなんらかの力のなせる技かもしれない。若い頃、「なにそれ? そのまんまじゃないか」と思っていた句が俄然、広がりと奥行きを増してきているのだ。

 とくだん一念発起したわけではないが、毎日、湯船に浸かりながら芭蕉の句を暗唱しようと思った。以来、ずっと続けているが、現在覚えている句は125。少しずつ増やし、自分の血肉になっていくのを実感するのが楽しい。まるで心を通わせる友だちが増えていくみたいな感覚だ。

 芭蕉に関する本の渉猟を続けてきたが、「これぞ芭蕉本の決定版!」と思える本を見つけた。『芭蕉の風景』(上下巻)である。

 著者の小澤實氏は、40代で大学教員を辞して専業俳人となった。2006年、句集『瞬間』で詩歌俳句賞を受賞し、本書で読売文学賞に輝いた。

 上下巻に収められた芭蕉の句は、約240。それぞれの句が詠まれた現場に足を運んで土地の人に話を聞き、句に秘められた芭蕉の思いや意図を読み解いている。芭蕉が敬愛する西行や宗祇の足跡をたどり、俳句を詠んだように、著者も一句ひねっている。

 なんと幸せな人かと思う。40代で大学教員を辞めたのは、彼の人生の大正解だったのだ。

 着眼点がじつにユニークだ。「霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き」という句は、「濃い霧のために眼前に見えるはずの富士山を見ない日となった。それもまた、面白い」という意味だが、小澤氏はこの句から「すべてのもののすべての状態に美を見いだす」という芭蕉の生き方、あるいは創作観を導き出している。この考え方は、現代に生きるわれわれにも応用可能だ。雨が降ったからつまらないのではなく、雨の日も楽しめばいいのである。

 芭蕉は「不易流行」を説き、古いものと新しいものの融合を図った。自身の作に対する厳しい姿勢は半端ではない。憧れていた吉野や松島を詠んだ句が残っていないというのも、芭蕉らしい(あるいは、本に収録されていないだけかも)。わずかでも納得できなければ、自作と認めなかったのだ。並外れた推敲能力は、そのような厳しい姿勢に培われたものだろう。

 土地の人たちとのやりとりも生き生きしている。伊勢神宮の外宮で詠んだ句についての項では、こういうくだりがある。

 ――外宮前の観光案内所を訪ね、芭蕉の遺跡について尋ねると、担当の女性は市内に五つの句碑があるといい、資料をコピーしてくれる。「小春になりました、歩くのにいいですね」と言ってくださる。「小春」という言葉を日常初めて聞いた。――

 どの項でも、このように地元の人たちとのさりげない会話や生活風景が描写されている。芭蕉の句を追いながら、それ自体がその土地の瞬間を詠んでいる。読みすすめるうち、さながら自分が小旅行をしている気分にさせられる。それは日常のなかに非日常をつくることでもあり、だからこそ読後感が清々しい。

 文句なしの芭蕉決定版といえる。

 

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