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紺碧の将

天国と地獄、めくるめく人生の変転

file.127『王妃マリー・アントワネット』遠藤周作 朝日新聞社

 

 700ページを超える大著だが(文庫版は上下巻)、最後まで飽きさせない。読み始め、遠藤周作のクセのない(個性のない?)文体に物足りなさを感じたが、流れにのるにつれ、文体と物語の親和性が増し、フランス革命時代にタイムスリップしている自分がいた。

 アンシャン・レジーム(16〜18世紀フランスの絶対王政時代。古い体制という意味)からフランス革命にいたる歴史に詳しくなくとも、マリー・アントワネットがどのような運命をたどったかは知っていることだろう。

 この作品は、14歳でオーストリアから政略結婚のためフランス王室に嫁ぎ、国王ルイ16世の王妃となったマリー・アントワネットが、37歳で断頭台の露と消えるまでを描いたものだが、史実に基づきながら、適度なフィクションを加え、人間の本質を白日の下に晒している。本質的なテーマについて、あらためてが考えさせられることが多い。例をあげるとすれば……、

①ヨーロッパの王室と日本の皇室との違い

②革命が成就したあと、なぜ恐慌政治になるのか

③大衆の残虐性

 

 ヨーロッパの王族や貴族の贅沢ぶりは筆舌に尽くしがたい。民衆がその日の飢えをしのぐためにひとかけらのパンを求めて喘いでいるのを横目に、いや横目に見ようともせず、ケタ違いの贅に耽っていた。一個数百億円の宝飾品を買うことにも躊躇しない。特にマリー・アントワネットの浪費は常識破りで、財務大臣が何度直訴しても聞く耳を持たなかった。20年近く前、ルイ16世やマリー・アントワネットが起居していたヴェルサイユ宮殿へ行ったことがあるが、あまりの悪趣味な絢爛豪華ぶりに吐き気がしてきたほどだ。

 一方、日本の皇室は洗練の極み。伝統的に質素で、けっして華美ではない。宮中の儀式においては特別の衣装や装飾品を身にまとうが、ふだんはいたって簡素だ。

 東日本大震災のときの国民と皇室の紐帯を見るまでもなく、皇室はつねに国民に寄り添い、国民は皇室に対して深い畏敬の念を抱いている。この信頼関係は、長い時間をかけて醸成されたものだけに、じつに堅牢である。

 次に②の、革命後、なぜ恐怖政治になるのか。フランス革命後、革命を主導したロベスピエールが恐怖政治を断行した。それによって処刑された人は途方もない数だ。ロシア革命でも中国の文化大革命でも数千万人が粛清された。

 しかし、日本ではどうか。唯一の革命は明治維新だと思うが、その後、恐怖政治が布かれただろうか。むしろ、当時の指導者たちは自ら命をかけて新生日本を築き上げていった。

 ③の大衆の残虐性は、フランスに限ったことではあるまい。前日まで「王様、万歳」と歓呼していた人たちが、次の日には「王を殺せ」となる。その大衆心理の移り変わりを、この作品はみごとに活写している。

 また、公開処刑の残虐さも克明に描いている。ギロタン博士がギロチンを発明するまで、当時のフランスの処刑は残忍を極めていた。刑死者の苦痛を減らすという目的でギロチンができたのだが、皮肉なことに、ギロチンに改良を加えたのは、ギロチンによる最初の犠牲となったルイ16世である。凡愚だが根っから性格のいいルイ16世は、鍛冶金工を趣味としていたのだ。

 この作品が生き生きとしているのは、マリー・アントワネットとは正反対の境遇にある同い年の娘マルグリッドの姿を描いていることだ。天涯孤独で施設育ちのマルグリットは、ストラスブールのパン屋のおかみにこき使われていたとき、アントワネットの興し入れと民衆の熱狂を見る。容姿美しく、見たこともないような衣装に身を包み、国民から喝采を受けるアントワネットを妬み、憎悪の炎を燃やした。その後、パリに移り住み、娼婦として働くが、詐欺師カリオストロらと知り合い、歴史的にも有名な「首飾り事件」に関わる。余談だが、カリオストロと聞けばルパン三世を思い出すが、実在の人物だったようだ。

 マルグリットの生い立ちやその後の人生とマリー・アントワネットのそれとを比較すれば、だれもが「同じ人間なのに、どうしてこんなに差が出るのか?」と思いたくなるはずだ。

 しかし、物語の前半、読者は一般市民の目線でアントワネットを眺めるが、民衆が蜂起し、徐々に王室の危機が増すにつれ、アントワネットへの同情が高まる。これは遠藤周作の緻密な設計によるものだろう。

 もうひとり、キーパーソンとなるのは、修道女アニエスだ。「キリストの教えとは」を自分なりに考え、その教義の本質から目をそむけることのできない彼女は、修道院と決別する。革命そのものには賛成だが、その後の行き過ぎた粛清に反対する彼女は、革命を主導していた人物のひとり、ジャン=ポール・マラーを訪ね、突発的にマラーを殺してしまう(実際にマラーを殺したのはシャルロット・コルデという女性だが)。アニエスが問う「キリストの教えとは?」という命題は、遠藤周作ならではといえるだろう。

 ほかにも王妃への恋慕を胸に秘めながら、最後の最後までアントワネットを救出しようとするスウェーデン(作品ではスエーデンと表記)の貴族フェルセンも物語の妙味を醸している。

 私は、マリー・アントワネットが処刑されるまで幽閉されていたコンシェルジュリーに行ったことがある。巨大な牢獄と言ってもいいだろう。とくだん、マリー・アントワネットに興味があって行ったわけではないが、アントワネットが閉じ込められていた狭く陰鬱な部屋を見て、憐憫の情が湧いてきたのを覚えている。

 典雅を極めた王妃マリー・アントワネットだが、最期は一気に銀髪となり、さながら老女のようであったと書かれている。ナポレオンの肖像画で有名なジャック=ルイ・ダヴィッドが、処刑される直前のマリー・アントワネットをスケッチしている。ギロチンの邪魔にならないよう、長い髪を切られ、後ろ手に縛られ、瞑目しているような彼女は、たしかに老女のようである。

 栄枯盛衰、人間模様を映し出す絵巻のような物語である。

 

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