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紺碧の将

地の果てまでついてくる声とトランペット

file.022『チェット・ベイカー・ウィズ・ストリングス』チェット・ベイカー

 正確なタイトルは「CHET BEKER WITH FIFTY ITALIAN STRINGS」。1959年に発売された。

 ニール・ヤングの声は1マイル離れていてもすぐに(彼の声だと)わかると言われているが、チェット・ベイカーもそうだ。

 お世辞にも歌が上手いとは言えない。声量もない。抑揚もない。病的だし、聴く者を元気づけるようなこともできない。彼の声を聴くと憂鬱になるという人もいるはずだ。それなのに、聴く者を酔わせてしまう何かを持っている。一度聴いたら、地獄の果まで耳の底に張り付いてしまうような粘着度の強い声。デヴィッド・リンチ監督の『ブルー・ベルベット』で、イザベラ・ロッセリーニもそんな歌を披露していた。頽廃的で、眠ったまま海の底に沈んでいくような歌声。なのに、妙に心の襞にひっかかる。

 彼の本領はトランペッターだが、トランペットのほうもヴォーカル同様、物憂げで、夢のなかを漂っているようだ。ただし、より少ない音で、より豊かな表現ができたという点で、天才と言う以外ない。楽譜なんか読めなくても、音楽の真髄がわかっていたのだ。

「マイ・ファニー・ヴァレンタイン(My Funny Valentine)」というジャズ史に残る名曲は、多くの人によってカバーされているが、チェット・ベイカーのヴァージョンが文句なしに頭抜けていると私は思っている。けっして〝可愛いヴァレンタイン〟ではないが、一度耳にしたら、二度と忘れることはできない。この歌い方にジョアン・ジルベルトがシビれたことによってボサ・ノヴァができたという話もあるくらいだ(ほんとうかどうかわからないが)。

 チェット・ベイカーといえば麻薬。彼は、世界恐慌の幕開けとなった1929年、アメリカに生まれたが、17歳のとき入隊する。除隊後、ジャズの世界に入り、マイルス・デイヴィスに大きな影響を受ける。しかし50年、マリファナの不法所持で逮捕されると、判事から軍隊に再入隊するか服役するかのどちらかを選ぶよう迫られ、復員することを選んだ。その後もたびたび逮捕され、警察の手を逃れるようにロサンゼルスからニューヨークへ移住し、さらに大西洋を越えてイタリアへ渡った。ドラッグ絡みのトラブルを頻繁に起こし、短期間だが服役もしている。喧嘩して前歯を折られ、演奏活動の休止を余儀なくされたこともあった。その間、生活保護を受けていたというのだから、人格はそうとう破綻していた。ただし、音楽は人格によって生み出されるものではない。どんなにメチャクチャな人格であろうと、いい音楽を遺した人は後世の人間に評価される。

 この作品は、イタリア移住の直後に現地のストリングスを従えて録音したもの。ただし、当初のレコードに「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は収録されていない。後にCD化された際、1曲目に収録され、それがこの作品の代名詞になった。

 ひとつの疑問がある。チェット・ベイカーがふつうの健康状態だったら、この作品は生まれていただろうか。おそらくできていなかったと思う。心身を極限まで消耗、衰弱させ、その果てに見た幻影を含め、善悪を超えた彼の全存在が凝縮されてこの曲が仕上がったのではないか。

 もちろん、それは長続きできるスタイルではない。つまり、このアルバムに収められたパフォーマンスは一回こっきりだったということ。それなのにそこかしこに穏やかな空気が流れているのはじつに不思議だ。

 88年5月13日、ベイカーはアムステルダムのホテルの窓から転落し、58年の生涯を閉じた。最期まで破天荒な人生だった。

 

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