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紺碧の将

西アフリカの民族音楽とロックの魅惑に満ちた融合

file.005『ジョコ』ユッスー・ンドゥール

 ユッスー・ンドゥールは、1959年、セネガルに生まれた。

 悪名高き南アフリカのアパルトヘイト政策のことを知ったのは、20代の前半だった。過酷な人種差別によって黒人が虐げられているという情報が、少しずつ入ってきていた。

 その頃、『SOWETO』というレコードを買った。人間扱いされない黒人たちが地下に潜って極秘に録音したもので、その強烈なリズムに心を衝き動かされた。

 ソウェトとは、South Western Township の頭の文字をつないだ言葉で、当時の黒人居住区のことである。南アフリカのアパルトヘイト政策は1994年に廃止されたが、今でもソウェト地区は残っている。が、エリアによっては高級住宅街になっており、かつての悲惨な面影はあまりない。

 南アフリカの黒人解放運動の英雄といえば、黒人初の大統領となったネルソン・マンデラだろう。彼の名前は、これまた音楽で知った。1985年、フランスで発表された、セネガルのユッスー・ンドゥールの『ネルソン・マンデラ』がそれだ(日本での発売は1987年)。

 世界デビュー盤が『ネルソン・マンデーラ』(※邦題はなぜか、デーラとに伸びる)というタイトルであることからもわかるように、彼は〝社会派〟である。ネルソン・マンデラは、アパルトヘイト政策を批判し、国家反逆罪で終身刑を宣告され、27年に及ぶ獄中生活を余儀なくされた人物である。

 スティーヴ・ジョブズが「Think Different」キャンペーンを行ったとき、彼はどうしてもマンデラを映像に使いたかったが、実現しなかった。ピカソ、ガンディー、エジソン、マリア・カラスなど、Think Differentタイプの偉才を数多く紹介したそのキャンペーンは、広告業界にも身を置く私にとって、今でもレジェンドとなっている。

 私はケープタウンの沖合にある、マンデラが収容されていたロベン島に行ったことがある。ロベン島は、ウォーターフロントから船に乗り、約14キロの沖合に浮かぶ小さな島だ。当時、政治犯の収容とらい病患者を隔離するために使用されていたところで、ネルソン・マンデラも10年近く、収容されていた。

 ロベン島は殺伐としていた。独房や高い塀のなかの広場、過酷な強制労働が行われていた石灰岩の石切場など、荒涼とした光景が、あらゆる動物のなかで人間こそが最も残忍であることを物語っていた。南アフリカ特有の強い光を反射する白い島は、残忍な人間の象徴ともなっていた。草もあまり生えないような島で、彼は毎日重労働に服していたのである。

 ユッスー・ンドゥールがそのアルバムを発表した頃、マンデラはまだロベン島にいた。ユッスーはアフリカの民草を代表して、南アフリカの窮状を世界に訴えたのである。

 社会派の彼はその後も活動の手を緩めることはなく、2011年、セネガルの政治に異を唱え、音楽活動を停止して自ら大統領に立候補しようとするが、推薦人の数が足りなく断念。代わりに、対立候補を支援し、その人物が当選すると、観光大臣に就任した。

 

 ユッスーの家系は、グリオの伝統の継ぎ手である。グリオとは、歌によって伝説を語り伝えるたり、王様に予言のような政治的アドバイスを与えたり、時事問題を語り知らせるニュース・キャスターだったりと、さまざまな役割を果たす歌い手のことをいう。

 ヤンハインツ・ヤーンは「アフリカの魂を求めて」でこう語る。

「アフリカの芸術作品は、詩であれ音楽であれ彫刻であれ仮面であれ、それが産み出す力をもった言葉として機能するときのみ〝完全な〟ものとみなされるのである。もしその機能を喪えば、その作品は価値なきものとなる」 

 わが国でいえば、琵琶法師や呪術師のようでもあるのだろう。ユッスーの家系は、言葉に特別の力を宿した音楽を代々つないできたのだ。

 1984年発表の『イミグレ』で、アフリカ音楽と西洋音楽の融合を果たしたユッスーは、その後、ヨーロッパ公演を行う。そのイギリス公演で客席にいたピーター・ガブリエルは、ユッスーに大きな衝撃を受けた。

 ピーターは、その翌年ワールド・ミュージックの祭典「WOMAD」を主催するなど、ワールド・ミュージックにはなみなみならぬ関心をいだいていたが、すっかりユッスーに惚れ込み、『So』の録音に参加させ、その後の世界ツアーにも同行させた。

 初めてユッスー・ンドゥールを聴いたときの感懐はいまだに消えない。1985年に発表されたピーター・ガブリエルの傑作アルバム『So』のなかの「イン・ユア・アイズ」だった。ピーターの歌が終わり、少しずつフェイドアウトするとき、はるか遠くから人間の声とも獣の声とも、あるいは自然の声とも思える、しなやかな声が聞こえてきた。わずか30秒ほどだったが、このときこそユッスーが世界に向けて第一声を放った瞬間だったが、「だ、だ、誰なんだだ、こいつは!」世界中にいる音楽ファンの多くがそう思ったはずだ。

 その後、世界的なミュージシャンと交流を深めることで彼の音楽は急速に進化することになる。『ジョコ』はその延長に作られた作品であり、ユッスーの家系を彷彿とさせる民族的な音と現代の西洋的な音階が絶妙なバランスをもって表現されている。

 オープニングの「ウィリ・ウィリ」から、ほかの誰も真似のできない音楽であることがわかる。ゆったりしたリズムのなかに、絶妙なスパイスが幾種類も混じっている。ユッスーの歌声は、どんな展開にも対応する。まるで風に揺られる柳の枝のようだ。

 続く「ビリマ」、5曲目の「マイ・ホープ・イズ・イン・ユー」は極上のポップソング。6曲目の「ドント・ウォーク・アェイ」ではなんとスティングがバックヴォーカルでゲスト参加。陰翳をつけている。

 そして、自分を発掘してくれた恩人ピーター・ガブリエルをゲストに迎えた「ディス・ドリーム」の信じがたい完成度! 一定のリズムはピーター独特のスタイルで、キレがあって重厚。それを基底に、変化に富むアレンジがなされる。ユッスーの声は低音から高音まで、じつにしなやかで鋼(はがね)のような強靭さを示す。「ハウ・カム」や「ビリマ」(リミックス)は、ラップ調で歌う男性の背後でユッスーがひたすら呪術的な歌を披露するが、それはグリオで培った声の力であろう。最後のボーナストラック「オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ」はご愛嬌。一貫して飽きさせない。

 ユッスーは『ザ・ライオン』でカメラマンのミヨコ・アキヤマのことを歌っているが、わが国との縁も深いようだ。2017年には、第29回高松宮殿下記念世界文化賞(音楽部門)を受賞している。同賞は、「それぞれの分野で芸術表現を追求し、文化の発展に貢献してきた人」に贈られている。ちなみに07年、タイム誌の「世界でもっとも影響力のある100人」にも選ばれている。

 

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