大人の男の色気たっぷり
1977年、エルヴィスが死んだとき、世界中のロックファンが涙した。それを横目で見ながら、「なぜ?」と思った。94年、メンフィスのエルヴィス・プレスリー記念館(自宅を改装したもの)を訪れたときも同じだった。そんじょそこらの〝自宅〟とはちがう。庭には娘に買ってあげたジェット旅客機が「どうだ!」と言わんばかりに置かれている。建物にはいくつの部屋があったのだろう。数えるのもバカらしくなるほど、広い家だった。案内人がいなかったら、まちがいなく迷子になっていただろう。どの部屋も成金ぽく悪趣味で、センスのかけらもなかった。エルヴィス・プレスリーというロック歌手に抱いていたイメージそのものだった。
熱心なファンがいる一方、彼を認めない人は多い。「商業的すぎる」「安っぽい」「けばけばしい」「自分で曲をつくれない」等など。私もそう思っていた。
しかし、いつの日か、いきなり雷に打たれたように「スゴイ!」と思った。「なんだこの歌い方は?」と。そして思った。エルヴィスが世に現れたとき、当時の人たちは彼の歌を聴いてどんなショックを受けたのだろうと。度肝を抜かれたなどという甘い表現では足りないほどの衝撃を受けたにちがいない。
このアルバムに収められた30曲のどれもが生き生きしている。タイトルの通り、すべてチャートでナンバーワンになった曲ばかりだ。ロックとバラードの声の使い分けは天性のものだろう。「ハートブレイク・ホテル」「ハウンド・ドッグ」「ラヴ・ミー・テンダー」「監獄ロック」「イッツ・ナウ・オワ・オーヴァー」「好きにならずにいられない」「サスピシャス・マインド」……、女性ファンならずともメロメロになってしまう。まるでメロンパンナちゃんのメロメロパンチを受けたかのように(わかりにくい?)。
曲のフォームはほぼ決まりきっているのに、曲ごとの印象ががらりとちがうのはなぜだろう? 間奏の語りも大人の男の色気たっぷり。どう考えてもベタなのに、それを地で通してしまうのはエルヴィスだけだろう。
「I don’t sound like nobady」(ほかの人と同じ音楽はやりたくない)と彼は言ったが、その言葉通り、誰ともちがう音楽をやり続け、この世を去っていった。彼の存在がビートルズ出現の呼び水になったことはまちがいない。(2002年発売)
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