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紺碧の将

情念うずまくバッハ

file.076『ヴァイオリン協奏曲集』J.S.バッハ

 本コラムは25回を1クールとし、それぞれ初回にバッハの作品を取り上げるというのが唯一のルールである。全部で100回の予定だが、最終クールは『ヴァイオリン協奏曲集』で始めたい。

 バッハは不思議な作曲家で、メロディアスな曲調を売りにしているわけでもなければ、劇的な展開を得意としているわけでもない。淡々と秩序だった音を連ねているという印象の作品ばかりだが、いつ聴いても何度聴いても飽きることがない。

 音楽の本質(プリンシプル)を貫いているからだろう。

 ヴァイオリン協奏曲のジャンルも例外ではない。

 

 バッハのヴァイオリン協奏曲は、以下の3曲である。

・ヴァイオリン協奏曲第1番(ニ短調 BWV1041)

・ヴァイオリン協奏曲第2番(イ短調 BWV1042)

・2つのヴァイオリンのための協奏曲(ホ長調  BWV1043)

 すべて、最も充実した時を送ったとされるケーテン時代に作曲されたものだ。

 バッハのヴァイオリン協奏曲は同ジャンルにおいて王道中の王道といえるが、きちんと番号を付されたものは上記の3曲のみ。他はハープシコード協奏曲に焼き直ししたものなど、安直な〝再生産〟が多い。構成もじつに簡易。演奏時間も15分前後と短いものが多い。喩えていえば、車体のプラットフォームを共通化し、ボディのデザインをほんの一部変更しただけで派生車種を作るトヨタの手法にも似ている。

 とはいえ、さすがは大バッハ。そんな意見を「だから何?」と一蹴できる力技を備えている。聴いて良ければ、それでいいじゃないかと。

 バッハのヴァイオリン協奏曲が別格なのは、これまでに聴いたどの演奏にも「はずれ」がなかったこと。構成がシンプルということもあるが、シンプルな構成だからこそ難しいというのも事実。

 そんな名演奏揃いのジャンルに挑んだのが、アリーナ・イブラギモヴァ。このアルバムを発表する少し前、パルティータの解釈で音楽ファンに衝撃を与えたロシア出身の若手ヴァイオリニストである。

 めっぽう情緒的だ。バッハじゃないみたい、と思えるくらい劇的な展開を繰り広げる。まるで嵐によって海面が逆巻き、木々の枝や葉っぱが飛ばされているかのように。アリーナの心の動きが透けて見えるようなエモーションがある。音が消えていくところは幽く、切ない。書の幽微な終筆を思わせる。時には、演歌と感じるほど〝こぶし〟を効かせることもある。

「ヴァイオリン協奏曲ニ短調(BWV1052)」の第1楽章アレグロでの、畳み掛けるような展開はなんだ? 聴きながら、息が止まりそうになる(実際、息が止まっていることがある)。この曲はハープシコード協奏曲第1番を再構築したものだが、これほど生き物のような演奏は初めてだ。哀切を漂わせながらも、果敢に躍動している。極端なことを言えば、この曲を聴くだけでこのアルバムは価値がある。

 かくもおどろおどろしいバッハがこの世にあるなんて! しかも、それを29歳の若い女性が弾きこなしているのだ。生で2回、聴いたことがあるが、いずれもぶっ飛んだ(右下写真は、その時のサイン会の模様)。

 もちろん、このジャンルで最も人気の高いヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調(BWV1042)も秀逸。この曲は後に編曲され、チェンバロ協奏曲第3番と化けるが、ソロと合奏団とのやりとりは絶妙な間合いをはかりながら、終始緊張を途切れさせない。

 異色のバッハといえば、すぐにグールドを彷彿とする。もっとも、グールドのバッハはもはや異色ではなく、スタンダードの域に達しているが……。

 アリーナのバッハは、グールドのアプローチとは真逆と言っていい。グールドは淡々と、一音一音明瞭に弾いたが(スタッカートのように)、アリーナはエモーションの塊のような表現をする。彼女を指導した人がだれかは知らないが、こういう育て方ができるというのは、ロシアの優れたところだと思う。日本の指導者なら、出っ張っているところはすべて直されてしまうだろう。

 とにかくアリーナ・イブラギモヴァのBMV1052を聴いてほしい。お話はそれからだ。(アリーナ・イブラギモヴァ(vn)、ジョナサン・コーエン(指揮)、アルカンジェロ/2014年録音)

 

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