音楽を食べて大きくなった
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紺碧の将

予測のつかない音楽

file.069『モンクス・ドリーム』セロニアス・モンク

 次の行動を予測できる人とできない人がいる。幼い男の子は後者の典型。どんな動きをするのか予測できないから、近くを歩くときは気をつけるようにしている。いきなりぶつかってくることもある。

 音楽にも予測できるものとできないものとがある。同じアーティストの作品を聴き続けていると、初めて聴く曲でも、次にどんな展開になるのか、ある程度読めるようになる。バッハやモーツァルトやベートーヴェン、キース・ジャレットやローリング・ストーンズもそうである。

 ところが、セロニアス・モンクときたら、次にどんな展開になるやら予測がつかない。〝いきなりぶつかってくる〟音楽なのだ。聴き慣れたいまだからこそ違和感がないが、初めて聴いたときは、独特の音と突飛な展開に目が回った。タッチは荒々しく、ピアノの鍵盤に恨みでもあるのかと訝るほどアグレッシブに打鍵する。モンクは「ピアノは間違った音を出さない」と言っているが、少なくとも、正確な音を出そうと努めているようには思えない。しかし、まごうことなくセロニアス・モンクの音楽、彼にしかできない表現があった。

 1963年に発売された本アルバムは、そんなモンクの持ち味が十全に発揮されている。モンクをサポートするメンバーは、チャーリー・ラウズ(ts)、ジョン・オー(b)、フランキー・ダンロップ(ds)の3人。

 ちょっとだけ曲についてふれてみよう。タイトルナンバーの「モンクス・ドリーム(Monk’s Dream)」はチャーリー・ラウズとのスリルに満ちたコンビネーションが魅力。この時代に、こんなに尖った音楽があったのか! と思うほどにぶつ切りのファンキーさがある。けっして流麗ではないが、リズムを無視したたどたどしいピアノが、じつは誰にも真似のできない超オリジナルなもの。チャーリーにリードを譲ったあとのモンクは、抑制を利かせながらもツボを押さえた音になっている。

 ソロ・ピアノによるスタンダード・ナンバー「身も心も(Bode And Soul)」と「ジャスト・ア・ジゴロ(Just A gigolo)」は、このアルバム中、影の主役といっていい。こんなピアノ・ソロ、誰にも弾けない。コードを連打しているだけのパートが、どうしてこんなにカッコいいのか。まるでキュビズムの絵画を見ているような感覚に陥る。

 ところで、モンクは変ロ長調をとりわけ好んでいた。「ブルー・モンク」をはじめ、彼が作曲したものブルースの曲は、すべて変ロ長調。加えて、かれのシグネチャー曲である「セロニアス」の構成は、執拗に繰り返される変ロ長調のトーンに占められている。モーツァルトにとって、ト短調は運命の調性と言われるが、セロニアス・モンクにとって変ロ長調は彼の心情を表現するための鍵になっていたのかもしれない。

 

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