音楽を食べて大きくなった
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紺碧の将

記憶の一時預かり所と音の風景

file.057『弦楽四重奏曲「アメリカ」』A.ドヴォルザーク

 記憶は、五感とセットになって脳裏に刻まれていることが多い。香りや音や風景が、眠っていた記憶を鮮明に甦らせることはよくあることだ。

 1987年の創業当時、国民金融公庫から借りた200万円で最初に買ったのがオーディオだった。机などはその次。これだけで私の優先順位がわかろうというもの。

 当時、私は新築ビルの狭い一室で猛烈なスピードで仕事をしながら、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲「アメリカ」を繰り返し聴いていた。

 いまでもこの曲を聴くと、当時の自分の状況や心の裡まで鮮やかに蘇ることがある。記憶の一時預かり所である海馬(頭の左右部分にある)は五感を司る器官でもあるため、つねにセットになっていると聞いたことがあるが、「一時預かり」というような時間はとうに過ぎているのに、いまだに預かってもらっているらしい。

 

 ドヴォルザークは、1892年から1年半、ニューヨークの国民音楽学校に赴任していた(交響曲第9番「新世界から」もその当時に書かれた)。

 ボヘミア出身の土着気質が新大陸アメリカに馴染んでいたようで、じつにのびやかだ。わずか15日間で書き上げた作品とは思えない。当初、この曲は「ニガー」と副題がつけられていたが、人種差別的だとして「アメリカ」に変わったという、いわくつき。

 第1楽章から、すこぶるチャーミングだ。おおらかで豊かな色彩があり、望郷の哀感のなかにも温かい気脈を感じる。第3楽章の印象的な旋律と野趣あふれるリズムは、「新世界から」のイメージにも通底する。最終楽章の跳ねるようで無邪気な曲調もいい。洗練とはほど遠いが、どの部分を切り取ってもドヴォルザークらしさがある。この「らしさ」がことのほか重要だ。美術展でもわかるが、名を残した画家は、すべて自分の画風をもっている。音楽家にとっても同じことで、独自の〝音楽風〟がなければ、後世には残らない。

 いまでも不思議なのは、創業当時、ロックかジャズばかり聴いていたのに、なぜこの曲だけを愛聴していたのか。

 おそらく、バランスをとっていたのだと思う。起業し、それまでとまったく生活が変わってしまった状況のなかで、無意識にこの曲を選んでいたのではないか。なるほど、この作品は、そういう力を秘めている。そういえば、若い頃から死ぬほどクラシック音楽を聴いてきた友人の、もっともお気に入りの作曲家はドヴォルザークだ。

 では、だれの演奏を聴くべきか。じつは、初めて聴いたのがヤナーチェク弦楽四重奏団の演奏なのだが、それ以来、ずっとこれだけを聴き続けている。ほかの演奏も聴いてみようという気にさせない。それも不思議なことである。

 

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