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紺碧の将

ロックがパワーを持っていた時代の証

file.041『欲望』ボブ・ディラン

 ボブ・ディランをフォークの神様だと思っている人にとって、ロック調の『欲望』は評価したくない作品かもしれないが、私にとってのディランはこれに尽きる。このアルバムはロックが社会的なパワーを持っていた時代の証ともいえる作品だ。

 なんといっても、冒頭の「ハリケーン(Hurricane)」が凄まじい。人種的偏見により殺人の罪で投獄されたボクサー、ルービン・カーターの無実を訴えた曲である。〝ハリケーン〟とはルービン・カーターのリング・ネーム。1966年、あるバーで男女4名が銃撃される事件が起きた。

確たる理由もなくルービンに容疑がかけられ、終身刑を宣告された。

 無実を主張するルービンの著書を読んだディランは獄中でルービンに会い、彼の無実を確信する。1975年7月に曲を完成させるが、弁護士から事実誤認を指摘されたため、10月に歌詞を直して再レコーディングし、11月に先行シングルとして発表した。8分33秒の大作だ。

 ――これがハリケーンの物語。権力に罪を着せられ、やってもいない罪で独房に入れられた。かっては世界チャンピオンになれたはずの男。

 詞はシンプルで激烈。物語形式で黒人を差別する社会の闇を描いている。事件の顛末から、警察、裁判の陪審員、証言者、マスコミまでをも鋭く糾弾した。

 吠えたてるようなディランの歌とその合間に炸裂するヴァイオリンとハーモニカは一世一代の名演だ。ヴァイオリンは無名のスカーレット・リヴェラ。彼女はグリニッジ・ヴィレッジの路上で演奏しているところをディランにスカウトされた、いわゆるジプシー・バイオリニスト。クラシックのヴァイオリンとちがって、歌にネチネチとからみつく情熱的な粘着性がディランの曲に合っている。

 バック・ヴォーカルのエミルー・ハリスも効いている。当時、彼女は新進のカントリー・シンガーだったが、この一作によって一躍、名を知られることになった。

 この当時のディランは正真正銘の活動家だった。なんとルービンが収容されていた刑務所の前でもライブを決行したのだ。世論が動き、このアルバムの発表の翌年、再審が決定し審理の結果、無実が証明された。再び投獄され、正式に釈放されるまで10年以上の歳月を要した。しかし、当時のアメリカにおける人種差別問題に大きな一石を投じたことは疑いない。

 ほかにも魅力的な作品が並ぶ。

 最後を飾る曲はディランの愛妻に捧げた「サラ(Sara)」。私はこの曲とロバータ・フラックの「愛は面影の中に(The First Time Ever I saw Your Face)」がラブソングの双璧だと思っている。

 イントロの切なく美しいハーモニカを聞いただけで、曲に引き込まれる。歌詞の合間に入るスカーレットのヴァイオリンは、けっして手練れではないが、ディランが妻を想う気持ちが十全に表現されている。しかし皮肉にも、これほどのラブソングを捧げたにもかかわらず、ディランとサラは別れることになる。

「コーヒーもう一杯(One More Cup of Coffee)」も魅力的な曲だ。中近東音楽を思わせるミステリアスなムードが漂う。ゆったりしたリズムにディランの渋い声とエミルーの透明なコーラス、そして情緒的なスカーレットのヴァイオリンがからむ。

 また、ニューヨークで殺されたマフィアのジョーイ・ギャロの追悼歌である「ジョーイー(Joey)」は11分を超える長い物語。なぜディランがマフィアを讃える歌を作ったかは不明だが……。

 

 ディランは当初、エリック・クラプトンら24人ものミュージシャンとともにセッションを行った。エミルーの話によると、レコーディングには楽譜もリードシートもなく、キーはおろか曲名さえ知らされずに一発勝負の録音だったようだ。しかし、このセッションは不調に終わり、本アルバムには「ドゥランゴのロマンス(Romance in Durango)」だけが収録されている。

 

 このアルバムが発表された1975年当時、私は毎週土曜日、ラジオ関東でオンエアされた「全米トップ40」という番組を聴いていた。DJはケーシー・ケイスン。

 その頃、この『欲望』がチャートを席巻したわけだが、同時期にはローリング・ストーンズの『ブラック・アンド・ブルー』やレッド・ツェッペリンの『プレゼンス』、ポール・サイモンの『時の流れに』などが代わる代わるアルバムチャートのトップに躍り出、年が明けると、イーグルスの『ホテル・カリフォルニア』が発表された。今思い返しても、激動のロック・シーンであった。それをリアルタイムで体験できたことはじつに幸運だったと思っている。

 

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