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紺碧の将

「便利・近道」との間合いをはかる

2021.06.07

 あらためて世相を見渡すと、「便利・近道を謳い文句にした情報」がいかに氾濫しているかと思い知らされる。それまでより少しでも便利になること、なるべく短い時間で成果をあげるためにはこの商品(サービス)を購入するべきだと思い込ませる情報が溢れている。当然、それらの情報は枝葉末節、軽佻浮薄にならざるをえない。

 たしかに、便利・近道は魅力的と映るのだろう。かく言う私も便利さを追求する流れに対し、徹頭徹尾抗うことはできない。電車に乗るときはスイカを使うし、車を運転して見知らぬ土地を走るときはナビを使う。絶版になってしまった本を探すために古書街を歩くことはせず、アマゾンで検索して数十秒後に目当ての本の注文をし、決済処理まで完了している。これはこれで芭蕉の言う「不易流行」であり、自分の軸足を確保したうえで、新しい波にのっていくのは悪いことではないと考える。

 つまり、どこまで便利さや近道を受け入れるのか、その匙加減こそが人生の質であるのではないだろうか。

 なぜかと言えば、人間ひとたび楽をすると限りなく楽をしたくなるからだ。やがてそれが習い性になったとき、手間をかけることを厭うようになり、その結果として仕事に隙ができる。それが時として〝蟻の一穴〟となることがある。事業が続くことは稀だと、以前小欄で書いたことがある(「創業34年にして思う」が、私がこれまで見聞してきた倒産劇をよくよく思い起こすと、その発端となっているのは、そういった蟻の一穴であるということがわかる。人が、そして会社が信用を築き上げるには多くの時間を要するが、失うときは〝一瞬〟だ。だから思う。会社を継続させるためには、過度に「便利・近道」を求めてはいけない、そういう餌をちらつかせながら近寄ってくる輩を信用してはならないと。もちろん、われわれは、仕事と称してそういうことをクライアントに売り込んではいけないと。手間をかけることが嫌だと思えてきたら、仕事上では黄色信号が点滅し始めたと思っていいだろう。

 もうひとつ、重要なことがある。「便利・近道」に慣れてしまうと、仕事そのものがつまらなくなっていくということ。以前、宮大工の小川三夫さんに取材したとき、あろうことか「休みはあるのですか」と訊いてしまった。小川さんは怪訝な表情をして、「仕事自体が楽しいのだから、あえて休みをとる必要はありませんな」と即座に答えてくれた。「遊びも学びも仕事もみな同じ」と唱える今では、小川さんの言葉は当たり前のこととしか思えないが、当時はやけに感動してしまったのだ。

 昨今、ワークライフバランスという言葉をしばしば耳にするが、そういう考え方は人を幸せにするのだろうか。はたと疑問を抱いた私であった。

(210607 第1079回)

 

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