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紺碧の将

『資本論』はだれも実践できない(2)

2021.03.14

『資本論』の正と誤

 

 テキストに沿って、『資本論』の主旨をまとめていこう。

 まず、マルクスは「自然との物質代謝は、人間にとって永遠の自然的条件だ」と書いている。否、人間だけではない。地球上に住むあらゆる生物が、自然との物質代謝なくしては生存できない。

 ただし、人間だけがほかの生物と異なる点がある。それは、意識的な労働を介して自然との物質代謝を行っているということ。必要最小限の〝用〟だけを求めるのではなく、付加価値を求めると言い換えてもいいだろう。それがやがて商品としての優劣につながっていく。

『資本論』は、富に言及することから始まる。富とは単に金額で表せる財ばかりではなく、自然環境や公的施設など、だれもがアクセスできるパブリックな資産も含まれる。

 さらにマルクスは、富を維持、発展させるものが労働であり、資本主義経済では富が次々に商品に変わっていくと分析している。もともとタダで飲めた水が今では商品として売られているように、すべてのものが商品化される、それが資本主義だと。

 その結果、生活に必要な飲食物やモノは対価を払わなければ手に入らなくなる。そこで、多くの人が現金収入を求めて都市へ流れ、労働者となって賃金を得、それで生活に必要なモノを購入するという生活スタイルが定着した。マルクスは、それが資本家と労働者の構図であり、資本家は効率よく利益を得るために労働者に対して過剰な労働を強い、ますます貧富の格差が増長するとしている。

 問題は、資本家が無節操に金儲けすることをだれも止められないということ。自分が生きていくうえで必要な金を得ることが目的ではなく、より多くの利益を得ることを目指してさらに労働者や自然から富を収奪することが問題だと喝破している。

 それらの指摘は、的を射ていると言える。テキストの執筆者・斎藤幸平氏は、アマゾンのCEOジェフ・ベゾスが2000億ドルの資産を持っていても引退する気がないことを例としてあげているが、生活の糧を得ることを目的として始まった事業がゲームに転化していくという好例だ。

 遡れば、イギリスで起こった産業革命以降、資本家が自己増殖するシステムができあがった。産業革命は1800年代なかば、『資本論』の刊行は1860年代。つまり、マルクスは産業革命以降の社会の変遷をリアルタイムで眺めたことによって、資本主義の悪い面に着目したといえる。

 しかし、物事は功罪いずれにも着目しなければいけない。産業革命は多くのメリットを人類にもたらしたことも事実だ。産業革命以前の社会に戻りたいと本気で考えている人はほとんどいないだろう。

 斎藤氏はここで思わぬ方面に脱線する。曰く、「資本主義は必要な物より売れそうなモノをつくる」。

 資本主義に慣れきった者からすれば、当たり前の話だ。斎藤氏とてそう思っているはずだ。なぜなら基本的に、売れないモノをせっせとつくる人はいないからだ。

 中学の社会科の教科書に、当時ソ連で進行していた産業5カ年計画のことが書かれていた。あらかじめ国民に必要な物(商品ではなく)の量を国家(共産党)が〝理性によって〟推定し、それをもとに生産計画をたて、実行するというものだ。東京書籍などソ連を崇める出版社は、ことさら共産主義国家の経済政策を称賛する意図を込めてそういう記述をしたのだろう。

 当時、中学生だった私は、素朴な疑問を抱いた。いかに国家といえど、国民が何をどれくらい欲しがるのかわかるのだろうか、と。なんの知識もない中学生でもそう疑問を感じた。いかがわしいとさえ思った。

 結果は白日のもとにさらされている。ソ連はじめ東側の計画経済は完全に崩壊した。

 その理由を考えてみた。

 ①すべての国民に必要な物を予測できると考えること自体、幻想である。

 ②計画経済には、人間の欲望や向上心が考慮されていない。人間はロボットとはちがう。

 ③あらかじめ決められたことだけをすればいいのであれば、向上心はいらなくなる。向上心がない人間ばかりの国家が繁栄するはずがない。かくして、「みんなで力を併せて衰退する」という道をたどった。

 ④労働の対価が平等ということは、一生懸命やっても手を抜いても給料が同じということ。そういう条件下で努力する人は稀である。

 ⑤イノベーションは計画を狂わせる要因となるから不要となる。イノベーションのない国家に繁栄はない。

 重複しているところもあるが、概ねそういうことだと思っている。

つまり、共産主義国家の指導者たちは、人間という生き物のことをまったく理解していなかったのだ。そのことは『資本論』にも言えることではないか。

 マルクスの理論は概ね正しいと思うが、ひとつ決定的な過ちをおかしていると言わざるを得ない。それを如実に表しているのが、「価値とは、その商品を生産するのにどれくらいの労働時間が必要であったかによって決まる」としていることだ。費やした時間によって価値が決まるのであれば、天才が一瞬のひらめきで創作した芸術よりも、手際が悪く覚える気もない人がダラダラ長い時間をかけてつくったものの方が価値が高いということにもなりかねない。マルクスは案外、人間の本質がわかっていなかったのかもしれない。(次回に続く)

(210314 第1063回 写真は1867年に刊行された『資本論』の表紙)

 

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