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紺碧の将

西洋的発想の安土城

2021.02.15

 十数年ぶりに安土城跡へ行った。最近、信長が出てくる本を立て続けに読んだからか、前回より興味深く見ることができた。

 京都駅から琵琶湖線で安土駅へ。ずっと安土は岐阜県だと思い込んでいたが、滋賀県だったことがわかった。

 駅前は前回よりかなり開発されている。信長像が立っていて、いかにも信長を前面に押し出した町づくりを進めていることが伝わってくる。しかしコロナ禍もあってか、観光客らしき人はまばらだった。

 駅前の貸しレンタサイクルで自転車を借り、ひさびさにチャリンコをこぐ。楽市楽座があった場所を抜け、15分ほどで目指す安土城跡へ。

 入り口近辺の駐車場には多くの車が停まっていた。やはり車で来る人がほとんどだ。

 写真を下に掲載するが、信長が抱いていた〝天下布武〟の一端が垣間見えた。つまり、信長はワントップとして日の本に君臨する。朝廷のお墨付きも頼らない。そんなものなどなくても、皆が自分を仰ぎ見るような存在になり、この国を動かす。旧来の考え方に縛られず、守るべきところは守り、進取の気風を大切にする。仏教寺院は本来の宗教行為に立ち戻らせる。商工業を興す。外来の文化を積極的に取り入れる。そんな思想が城づくりに現れていた。

 そこには協調を旨とする日本的な情緒はなかった。

 そういう発想で国を治めようとした人物は、信長以外にはいない。まさに西洋人の発想である。

 

まずは大手道を登る。常識的な大手道は曲がり角をたくさん用いるが、安土城の大手道は真ん中ズドンの一本道。攻めてくるなら攻めて来い! という気概が溢れている。手前に見えるのが石仏の一部分。信長らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

羽柴秀吉邸跡礎石

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

羽柴秀吉邸復元図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒鉄門の巨大な石。この前に立つと、いかに大きいかわかる。よくぞこんな大きな石をこの高さまで運んだものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仏足石。信長にとって釈尊の足などどうでもいい。至るところに石仏や地蔵が石材として使われていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天守閣跡の石垣

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天守閣跡の礎石

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天守閣跡から琵琶湖方面を見る

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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