命の再生
つくづく植物の力は凄いと思い知らされている。地球と、いや宇宙と植物はそもそも一体であり、人間も含めた他の生き物たちは植物に生かされていると感じるこの頃であるが、その思いは強くなるばかりである。
写真の木は新宿御苑のもの。なんという種類の木かわからないが、太い幹の方は完全に枯れている。もしかすると落雷に遭ったのかもしれない。
しかし、根本のあたりから本体の一部なのか、あるいはこぼれた種が目がふいたのか、新たに幹が伸び始め、今ではこのように立派な葉を生い茂らせ、まるで枯れた幹を慈しむように巻き付いている。これを発見した時、涙が出そうなほど感動した。たぶん、この御苑を管理している人はこうなる事態を想定して、この枯れ果てた木を残していたのだろう。
同じような姿は先日訪れた京都府植物園(ここはお奨め! 自然の形に近い林や森が残されている)にもあり、そこでは植物の再生力について詳しい記述もされていた。
要するに、生命力がとんでもないのである。
そう言えば、京都府植物園に行った時、団体客を案内していたガイドが次のような話をしていた。
秋になると、なぜ葉は落ちるのか。それは気温が下がり、日照時間も減っているのに対応するため、植物が自ら葉を切り離しているためだという。体力を温存しなければ、冬を越せないからだ。葉の付け根と幹の間にナントカという分泌物を流して遮断し、幹から葉に栄養がいかないようにする。すると光合成が行われず、葉は変色していく。黄色の色素が強い葉は黄色になり、赤の色素が強い葉は赤やオレンジになる。緑の色素が強い葉は赤と混じり、紫になるというものだった。
そうだったのか!
目から鱗の瞬間だった。
落ちた葉は無駄死にではない。地表で微生物を集め、再び命の源泉となるか、あるいは今生きている植物や動物を助けるなど、それぞれに役目を果たしている。まさに『葉っぱのフレディ』そのものである。
そういった大きな円環を感じる時、自分という存在のあまりに小さきことを痛感しないわけにはいかない。
(101121 第209回)