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紺碧の将

音楽と友だちになる

2019.11.28

 今年の夏、十数年ぶりに知人と酒を飲む機会があった。その人(仮にSさんとしておこう)はこう語った。

「今年はマーラーの8番を生で聴けてよかった。マーラーの8番を生で聴いたのは2回目です」

 マーラーの8番か……。マーラーは好きな作曲家のひとりで、とりわけ第1番「巨人」と4番は愛聴している。しかし、7番と8番のCDは持っていなかった。8番は「千人の交響曲」の異名があるくらい大掛かりで、安易に聴くことはできないという印象があった。

 そのとき思った。食わず嫌いはいけない、ここはいっちょう、腰を据えて集中して聴いてみよう、と。

 その後、Sさんの薦めに従ってショルティ指揮の盤を買い、毎日聴き始めた。毎日必ず聴く。曲の背景を調べ、作曲家の意図などを知る。つまり、自分から作品に近づいていったわけだ。

 すると、どうだろう。半月もしないうちに、「千人の交響曲」との親和性が増してきた。1ヶ月続けて聴いたあとは、曲と仲良くなれたと感じた。

 ある日、ふと、ベートーヴェンの交響曲9曲のうち、第1番だけ馴染みがないことに気づいた。コンサートの演目にもならないし、CDで聴いたのも数度あるかないか。じゃあ、次はベートーヴェンの1番を集中して聴いてみようと思い、実行した。1ヶ月後にはこちらとも仲良くなれた。

 自分から近づけば親和性が増すということを知ったからには、これをルーティン化しない手はない。次は何にしようかと〝楽しみながら〟選んだ結果、プロコフィエフのピアノ協奏曲にした。たびたびプロコフィエフは天才だと聞いてはいたが、どういうふうに天才なのかわからない。CDはいくつか持っているが、ときどき『ロミオとジュリエット』を聴くていど。近代の作曲家(とくにロシアの)にありがちな、知的だが冷徹なイメージが先行していた。事実、聴きやすい曲はほとんどない。

 それからプロコフィエフのピアノ協奏曲1〜5番を毎日聴いた。やがて、難解だと思っていた曲が少しずつほぐれてくるのがわかった。1ヶ月過ぎてみれば、どれも〝お馴染み〟となり、今では無性にプロコフィエフを聴きたいときがある。

 その次はシューマンの歌曲『詩人の恋』を選び、目下毎日聴いている。歌曲を聴く機会はそれほど多くないが、怜悧な音楽をたくさん聴いたあとだからか、おのずと人の声の温もりを求めてしまったようだ。

 全体16章のうち、1〜4は恋が芽生え、花開くよろこびを。5は恋を失う予感を。6は恋を失う悲しみを押さえようとする葛藤を。7は失恋するが理性を失うまいとする自我を。8〜10は失恋の苦しみを。11は少しずつ心が恢復する様子を。12は無意識のうちに苦悩が昇華され美化し始める様子を。13〜15は恋のよろこびも苦しみも夢のなかに融け込んでいく様子を。16は恋愛を体験したことによって主人公が新しく変容するというように、恋愛の喜びと破局に至る葛藤、それにともなって人間的に成長する様子を描いている。いつの時代でも変わらない普遍の真理だ。聴きながら、若き日、味わった感興を想起した。疑似体験もいいものである。

 ところで、1ヶ月ごとに作品を選び集中して聴くというマイ・イベントに伴走してくれる人が現れた。私がこういうことを始めたと言うと、彼(仮にTさんとしておこう)も同じ曲を毎日集中して聴き、感想を述べ合うようになった。演奏家の異なるCDをいくつも貸してくれるなど、ひとりでやっているときよりもはるかに楽しいし、得るものがある。今月聴いているシューマンのほかに、Tさんが選んだグラズノフの交響曲5番も加わり、楽しみが倍加した。

 なにごともそうだが、人間関係の基本は「共鳴・共感」。Tさんは私の著書や私が推薦した本やCDを収める書棚を自宅に設けたくらい共感してくれている。得難い人である。

 聴き方を変え、曲と仲良くなる。これも「生活の軽妙化」の一環といえるだろう。

 

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(191128 第950回)

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