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紺碧の将

「生活の軽妙化」その3

2019.11.16

 ふと、これも生活の軽妙化の一環だったのかと思う。

 今年の夏のはじめ、増えすぎたCDの収納場所に困り、一計を案じた。プラスチックケースを捨て、ディスクとブックレットをファイルケースにまとめる(写真)。ファイルをアーティスト別、カテゴリー別に分ければ、聴きたいものを取り出すときも楽。ひとりのアーティストを発表順に並べておけば、そのアーティストの変遷もよくわかる。

 ただし、簡単な作業ではなかった。2000枚近いCDをアーティスト別、カテゴリー別にまとめる作業が思いの外たいへんだった。とはいえ、「嫌なたいへん」ではなく、「楽しいたいへん」なのだが……。

 仕事の隙間をぬって、3ヶ月くらいかけてほぼ終了。紙ジャケットは風趣があるため残し、ひとつのファイルにまとめられないものはそのままにした。

 スッキリ! 見た目にも美しい。聴きたい1枚を取り出すときの、あのプラスチックケースがぶつかるガチャガチャという音もなくなった。旅や出張の際も、ファイルをひとつカバンにしのばせればいい。

 なんといっても、ふだんの生活を過ごす場がスッキリするのは心地いい。雑然とした部屋は、心の底から嫌なのだ。〝汚部屋(オベヤ)〟でも平気という人がいるらしいが、心のなかの風景は推して知るべし。荒れているか散らかっているかだろう。

 整理整頓ができなければ、段取りもできない。絵描きや小説家などはべつとして、一般の仕事はできないだろう。まして、多くの人、事を編んでいく編集など、できるはずもない。

 と、ここまで書いて、ふと思う。いまの日本の風景は汚部屋(オベヤ)そのものではないか、と。「これでもか!」というくらい欲にまみれた汚い野立て看板が連なっていても、違和感を感じないという。特に地方都市の郊外がひどい。最近は、大きな看板に自分の顔をどアップで出す輩も多い(なぜか、歯科医や歯科技工士)。吐き気をもよおすほどひどい。恥知らずもここまでいけば、りっぱなものだ。

 

 そういえば、桜を見る会がどうのこうので野党が安倍総理を攻めているが、「こんなことしかやることはないのか!」と呆れている。重箱の隅をルーペで拡大してつつくようなことをして恥ずかしいと思わないのか。もっと正々堂々と政策議論をしてもらいたい。

 日本人がどんどん、みみっちくなるのを見て、自分はそうならないよう気をつけようと心のフンドシを締める昨今である。

 

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◆ネコが若い女性に禅を指南 「うーにゃん先生の心のマッサージ」

◆「死ぬまでに読むべき300冊の本」

◆「偉大な日本人列伝」

 

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●『父発、娘行き』

●『葉っぱは見えるが根っこは見えない』

●『結果をだす男 中田宏の思考と行動』

 

●「美し人」最新記事 ガラス作家・植木寛子さん

●「美しい日本のことば」

(191116 第947回)

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