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紺碧の将

滅びゆく者へのシンパシー

2019.06.17

 自分のなかで、なにかが変質している。そう感じる瞬間が増えてきた。そうはいっても、具体的に説明できるものは少ない。

 4月、唐招提寺を訪れたとき、こんなことがあった。多くの人が、ある名木に群がっている。スマホをかざし、撮影に懸命だった。しかし、私は別の方に気を取られていた。

 なんてことのない光景だと思う。白い椿の花が落ちていたのだ。なぜか一部が赤い。苔むした庭に、鮮やかな散り際を見せていた。美しいと思った。下の写真は、新宿御苑で見た桔梗だが、私に向かってなにかを訴えているように思えた。もちろん、気のせいだと思う。でも……、なにかを感じてしまったのだ。

 おそらく、自分自身が向かっている方向とシンクロしているのだろう。もちろん、それは生の終焉である。

「老子第五十」には「出て生き入りて死す」とあるから、ある大きな懐へ帰っていくことが死だと認識できるようになったが、それにしてもさまざまな生き物が見事な〝散り際〟を見せてくれる。うーにゃんの最期は、今思い返しても崇高だった。

 さて、自分はどうなんだろう? ときどきそう思うようになった。もちろん、すぐに〝そこ〟へ至るわけではない。いまだに体はシャキシャキと動くし、病気ひとつしない。なにをやっても楽しく過ごせるし、どうすれば自分は充実するのか、より正確にわかってきた。これも年齢を重ねた恩恵であろう。

 とはいえ、少しずつなにかが忍び寄っているのを感じる。その正体がなになのかはわからない。いや、わからなくていい。そのうち、親和するのだから。

 

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(190617 第909回)

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