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紺碧の将

なぜ信玄は隠し湯をつくったのか

2019.04.29

 信玄と聞いて、信玄餅を思い浮かべる人は多い。隠し湯もそうだろう。そこで、信玄の隠し湯として知られている、山梨県見延町下部の温泉郷へ行った。

 山深いところだ。下部川に沿って温泉宿が十数件軒を並べている。佇まいがみごとに昭和30年代風。タイムスリップしたかのようだ。

 戦国武将で隠し湯を開発した人は信玄以外、ほとんど聞かない。これにはいくつか理由があるようだ。

 まず、信玄がまだ晴信だった頃、軽い労咳を患い、数ヶ月間温泉療養を強いられ、その効果を自分で体感したということが大きい。そのことから、負傷兵の療養に活用するため、領土を拡大しながら温泉の発見・発掘と湯治場の整備を積極的に行った。そもそも甲斐は各地で温泉が湧き出る〝火の国〟である。

 武田信玄は、政治的センスをもった武将である。前回書いた信玄堤もそうだが、思考法が全体的・俯瞰的・長期的である。ただの戦好きな武将ではない。もともと田畑が少ない甲斐の国は、ひとたび凶作となれば、領民がひと冬越すことができるかどうかという瀬戸際に立たされる。春になって木の実が出る頃まで待てずに多くの民が餓死してしまうこともたびたびあった。そのようなハンディのある土地柄か、人を使いこなす術が鍛えられた。温泉のある場所を見つけることが得意な人、掘削することが得意な人、湯治場を運営することが得意な人など、適材適所で人を活かしたのだ。

 下部温泉郷に、信玄から与えられた御免状のコピーを掲げている古びた宿・古湯坊温泉館がある。その湯に信玄が浸かったという記録はないが、その土地に来て、あれこれと構想を練ったことはまちがいない。温泉郷の高台にある神社の境内から下を見下ろしたとき、時空を越えて信玄の心持ちに近づいたような気がした。

 古湯坊温泉館で天然鉱泉水「信玄」をいくつか買い求めた。水の粒子が細かく、すーっと体に入ってくる。

 山梨では毎年5月になると、「信玄公かくし湯まつり」が催される。武田二十四将ら部下を従えた信玄が、各地の温泉街を練り歩くというのだ。その土地にあるものを、知恵を絞って最大限活かす。地方創生のヒントはそこにある。

 

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(190429 第896回 写真上は古湯坊温泉館。下は信玄による湯治場設営の御免状)

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