多樂スパイス

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紺碧の将

幕の降ろし方

2019.01.28

 なににつけ、出処進退は重要だ。江戸の教育では特にそのことを重要視していたという。

『Japanist』の最終号を発刊し、10年の幕を閉じた。

 2009年の4月に創刊し、今月終刊。全部で40号。25日発行を謳っていたが、すべての号を23日に完成させた。

 思えば、たいへんな労力だった。創刊の頃は、疲労困憊になった。第19号から専任のスタッフを置かず、一人だけで編集した。一字一句の修正も自分で行った。何度も校正するから、仕上がったものを読むことはほとんどない。それくらい丹念にチェックした。

 編集が終わると、請求書や挨拶状の作成や各種のリスト管理をし、完成を待って発送業務をする。加えて、毎月の会計処理、年に1度の決算……諸々を合わせると、じつに膨大な時間と労力を『Japanist』に費やしたことになる。通常であれば、この時期は次号の取材依頼などをしている。それがなくなっただけで、得も言われぬ解放感を覚えている。

 すでに当ブログでも書いているように、昨年の元旦、「あと4回発行して、10年で『Japanist』をやめよう」と決めた。終わりがわかると、ひとつひとつの仕事がシンドイのに、愛着が湧く。

 ていねいに終わろうと思った。わずかなやり残しもないように、と細心の注意をはらった。

 結果、満足している。じゅうぶん、やりきった、と。

 

 ところで、出処進退が重要だと書いた。私もそうだが、これだけ情報があり、選択肢があると、つい、いろいろなことを始めたくなってしまう。たしかに思いつきで始めるのは簡単だ。

 しかし、なにをやるにしても、最初の新鮮味は薄れていく。その後はだらだらとした上り坂が続く。先が見えないだけに、次の道へそれようとしたくなる。

「老子」の任成第三十四に「萬物を愛養して主と為らず」とある。この世の創造主たる「道」は万物を作り、育てるが、それを自分のものとしないという意味だろう。

 道のありように倣うとすれば、まずは愛養することだ。縁があって始めたことを慈しみ、育てる。どこまで育てればいいのかは、その都度本人が考える。結論は本人にしかわからないからだ。ベストな答えを得たと思えたら、次へ進む。

 そういうことの繰り返しの先に、なんらかの達成があるのではないだろうか。

(190128 第874回 写真上は『Japanist』最終号の表紙と裏表紙。下は表紙を飾った岩田壮平氏の『こい』)

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