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紺碧の将

沖縄の歴史の語り部

2018.12.14

 沖縄に世界遺産の城があると聞けば、多くの人が驚くにちがいない。事実、私も驚いた。事実、あの首里城跡を含めて9つの城が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産リストに登録されている(グスクとは沖縄の言葉で、城を意味する)。

 そのなかで最も風情があるのが、沖縄本島北部の今帰仁村(なきじんそん)にある今帰仁城だ。蛇足ながら、今帰仁と書いて「ナキジン」と読むのは、沖縄が日本とは異文化だったことを物語る。今帰仁城は琉球が統一される前の三山鼎立時代には山北王の居城であり、統一後には琉球王府から派遣された監守の居城だった。

 名前だけではなく、城としての趣も明らかに日本のそれと異にしている。14世紀につくられたとはいえ、石垣は堅牢とは言い難く、日本の城を見慣れた目には、じつに大らかと映る。1609年(江戸時代初期)、薩摩藩に侵攻され、城は炎上した。薩摩藩はいとも簡単に琉球を攻め落としたことだろう。

 それにしても美しい。城を囲む石垣は、地形の動きに応じて曲線を描いている。この城のなかで、どのような日常が営まれていたのだろう。想像がはてしなく広がっていく。 

 城跡の最上部に歌碑が立っていた。

 

 今帰仁の城 しもなりの九年母 志慶真乙樽が ぬきゃいはきゃい

 

 志慶真という集落に「乙樽」(うとぅだる)という美女がいて、その美しさは国中に知れ渡っていた。やがて山北王の側室に迎えられ、子を授かった時の喜びを表す歌だとか。「ぬきゃいはきゃい」とは季節外れのミカンが実った様子で、子供のはしゃぎ声を連想させる。子が宿っただけで歌碑になる、幸せな時代だったのだ。

 最上部の正殿跡に立つと、城壁の向こうに海が見える(写真下)。その昔、今帰仁村の人々も同じような光景を眺めていたことだろう。

 ちなみに、今帰仁城は日本100名城にも選定されている。

 

「美し人」

美の生活化―美しいものを人生のパートナーに

 

※悩めるニンゲンたちに、名ネコ・うーにゃん先生が禅の手ほどきをする「うーにゃん先生流マインドフルネス」連載中。第33話は「どんな日も〝いい日〟につながっている」。

https://qiwacocoro.xsrv.jp/archives/category/%E9%80%A3%E8%BC%89/zengo

(181214 第864回)

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