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紺碧の将

知覧の地を踏む

2009.07.20

 初めて鹿児島の地を踏んだ。知覧を取材するためだ。

 今まで何人かの心ある人たちに驚かれていた。

「えー? 知覧へ行ったことがないの?」

 パソコンを2本指で叩いているとカミングアウトした時もかなり驚かれたが、それはある意味私のチャームポイント?なので、あまり意に介していないが、知覧はそういうわけにはいかない。パリとかリオデジャネイロなんか行っている場合ではなかったのだ。不覚であった。

 といいながら、50歳になった節目に知覧を訪れるというのも、天の采配と思わずにはいられない。あるべき時に、「時期」というものはやってくる。とかく、都合良く解釈するのは私の得意技である。

 関東はまだ梅雨が明けていなかったが、鹿児島空港に着いたとたん、熱い風に頬を撫でられた。東南アジアが大好きな私にとって、懐かしいとも思える、特別な感触である。さっそく空港からレンタカーを駆り、指宿へ向かって南下した。

 途中、仙巌園に立ち寄った。持ち主は現代の島津家当主。たしか第32代か33代であると聞いた。

 これが個人のもちものか、と驚嘆するほど広大な庭園だ。隣接地には島津家ゆかりの品々が展示されている尚古集成館もある。やはり、薩摩だけは独立国だったのか、とあらためて痛感する。

 とにかくスケールが大きい。風景もそうだ。チマチマしていない。北海道の「チマチマしていない振り」とはまたひと味ちがった豪胆さがある。

 鹿児島湾を隔てて、正面に桜島がドーンと居座っている。大将という趣だ。大久保利通、西郷隆盛、大山巌、黒田清隆、東郷平八郎ら、あまたの傑人を生んだのは偶然ではなかったと思い知った。特に大久保を崇敬する私にとって、鹿児島はただの土地ではない。

 やはり「地の力」というものはあるのだろう。生まれた瞬間から、見えざる大きな力に作用されていたのだ。19世紀後半は、鹿児島がそういう位置にあった。20世紀半ば頃のリバプールに音楽の天才たちが誕生したように……。

(090720 第107回 写真は桜島)

 

 

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