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画狂老人・葛飾北斎が見きわめた自然の形

2017.11.09

 葛飾北斎の痩身に、いったいどれほどのパワーが詰まっていたのか。

 江戸時代後期、90回以上引っ越し、90歳で死ぬまで絵を描き続けた。ジャンルは風景、漫画から春画にいたるまで多彩で、世界で最も名を知られた日本の画家といっていい。しかし、「七十前画く所は実に取に足るものなし」と『富岳百景』に付した言葉が象徴するように、自分が思い描く画境にはまだまだ追いついていないと意識しながらの生涯だった。

 70歳前に描いた絵は取るに足りないと言っているのだ。

 この言葉はさらにこう続く。

「73歳で動物や草木の姿がいくらかわかるようになった。90歳になれば奥義を会得し、100歳をかなり超えた頃には作品一つひとつが生きているようになるだろう」

 北斎の見立てによれば、奥義を会得した頃にこの世での命を終えたということだ。本人は「100歳をかなり超える」まで生きたいと願っていたのだから、さぞかし無念だったろう。

 

 それにしても、驚異的な作品ばかりだ。特に『神奈川沖浪裏』は並外れている。ドビュッシーも自身の楽譜の表紙に使った(と思う)。

 北斎はそれまで長い間、水飛沫の表現に挑んでいた。しかし、思うように描けない。人間の肉眼ではせいぜい20分の1秒くらいでしか捉えることができないからだ。しかし、この『神奈川沖浪裏』、500分の1くらいのシャッタースピードで写したくらい正確に水飛沫を写し取っている。

 しかも、浪の動きが凄まじい。左写真のように、幾何学的に整理されているのだが、かなりデフォルメしながらも、本物の浪であるかのようだ。北斎は宇宙の成り立ちをわかっていたのだろう。だから、デッサンの段階で、幾何学を応用し、円や三角や四角を当てはめながら構成を練っていた。

 

 そんな〝ぶっ飛んだ〟北斎にふさわしい美術館が両国にある。「すみだ北斎美術館」。金沢21世紀美術館などを設計した建築家ユニット「SANAA」の片方、妹島和世氏が設計した。幾何学的なアルミパネルで覆った、なんとも奇抜な外観である。しかし、ぶっ飛んではいるが、周囲に与える悪影響はない。むしろ、すんなり溶け込んでいるから不思議だ。

 この美術館の常設展示会場に、娘の阿栄(おえい)に見守られながら、絵筆を取っている北斎の蝋人形がある。蝋人形と言っても、昔のそれではない。今にも言葉を発しそうなほど精巧だ。ときどき、動く。ほんとうに生身の人間のようだ。

 そういえば、娘の阿栄も父に劣らず、絵に魂を奪われたような人だった。家事もろくにやらず、絵ばかり描いていたから三行半を突きつけられ、出戻ったといういきさつがある。

 自らを「画狂老人」と呼んだ北斎。彼が観察した自然の形に、多くの答えが詰まっている。

(171109 第765回 写真上:すみだ北斎美術館外観、中2枚:『神奈川沖浪裏』※ネットから拝借、下:北斎と阿栄の蝋人形 ※撮影可)

Profile

高久多美男

高久 多美男

(撮影:森 日出夫)

●1959年生まれ

●1987年、広告の企画・制作を営む株式会社コンパス・ポイントを設立

●2009年、『Japanist』を編集・発行するジャパニスト株式会社を設立(2019年1月、刊行終了)

●「遊び、学び、仕事は皆同じ」がモットー。すべからく本質を求める

■本は永遠の師匠

19世紀フランス文学から20世紀アメリカ文学、さらには現代日本文学。歴史(特に日本近代史)、あらゆる生活・芸術分野から政治・経済の分野まで、本には強いな愛着を示す

■No Music, No Life

あらゆるクラシック音楽と1950年代以降のジャズ、R&B、60年代以降のロック、ワールドミュージックなど、とにかく雑食

■生涯、美を求めたい

桃山から江戸にかけての日本美術、岡倉天心一派以降の近代絵画を特に好む。ヨーロッパの近代絵画など、こちらも雑食

■敬愛する歴史上の人物

尊敬する人物は大久保利通。ほかに幕末から明治にかけて活躍した男たち。戦国武将では武田信玄、戦後の政治家では岸信介

■思索の遊び

禅、儒学、老荘思想、マキャヴェリズムを組み合わせながら、独自の思想を構築中

■いやなもの

共産主義や日教組などの極端な左翼思想(極端な右翼も嫌い)、地球市民幻想、新興宗教

■その他

日常的に走る他、毎年夏、山に登る。体型はずっと変わらず。便利なことよりも美しさに価値を見いだす

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