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紺碧の将

とくだん何もないときは、うーにゃん

2017.06.03

 このブログも今回で726を数える。ほぼ4日おきに更新しているのは、大リーグの先発投手のインターバルにならってのこと。

 4日おきともなると、正直あまり書きたくない日もある。とりたてて書くべきテーマがないときもある。だいたいそういうときは愛猫・海(通称うーにゃん)でお茶を濁す。
 4月で満18歳になった。ネコの平均寿命と比べると、長寿である。前に飼っていた白いネコ・マリリンは23歳弱、柴犬のパンナは16歳で往生した。おしなべてわが家のペットは長生きだ。
 最近は、うーにゃんの姿を見るたび、声をかけずにはいられない。
「うーにゃん、元気か? おまえが元気じゃないと困るのだよ」
「調子はどうだ? うーにゃん。今日は肌つやがいいね」
「うーにゃん、今日の予定は? たまに外出したらどうなんだ」
 うーにゃんは、「ウニャ〜」と言って返事をする。牙が3本抜け、毎日咳の発作があるものの、毛の艶もよろしく、溌剌としている。元気でいてくれるだけで、愛おしさが増す。
 小学生になったばかりのころからずっと一緒に過ごしてきた一人娘にとって、うーにゃんは妹のような存在だ。右上写真のように、子供のころから一緒にゴロゴロしていた。今は名古屋で一人暮らしをしているが、「海と離れて暮らすことに意味はあるのかな?」としばしば言う。どうやら本気で言っているらしい。会社を辞めて戻って来る口実にもしたいのだろう。たしかに、うーにゃんの残り時間を考えると、ずっと名古屋にいる意味があるとは思えない。
 それにしても、最近はネコブームらしく、ネコを取り上げさえすれば売れるようだ。わが家ではずっとネコのいる暮らしだから、ブームもヘチマもない。
 ネコはなんにもしないし、生産性はゼロ。それなのに、人間から可愛がられ、生き延びることができている。生存に対する動物の適応力には驚くばかりである。
(170603 第726回 写真は海と床でゴロゴロする小学生時代の娘)

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