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紺碧の将

新しい年の幕開けに想う

2016.01.03

明治神宮 あけましておめでとうございます。

 

 前回のブログでも書いたが、わが家では初詣をしないかわり、大晦日に参拝する。一年間つつがなく過ごせたことに感謝するためだ。昨年の大晦日も家族そろって明治神宮に参拝した。
 明治神宮へ行くたび、大正時代、全国から集まって来た人たちの勤労奉仕によってあの森が作られたことに感謝の念が湧いてくる。後世の日本人を想い、自分たちが生きている間は結果の出ないことに尊いものを差しだしてくれたのだ。その無私の精神におのずとこうべが垂れる。
 もちろん、明治帝にもそれ以上の気持ちが湧いてくる。なんといっても、近代日本の礎をお作りになられたお方だ。そのおかげでわれわれはこうして平和な世を享受することができている。

 

 年末年始は新宿御苑が閉園しているので、外苑を走っている。国立競技場の外周をなぞって神宮球場のスコアボードの下を抜け、赤坂御所の外周をぐるりとまわって国道246号線に出て青山方面へ走り、外苑の銀杏並木に入るというコースだ。
 毎回思うのだが、この一帯の風景はじつに美しい。都市と自然がほどよく調和している。銀杏並木のすっと立った姿の美しいこと! 幹のてっぺんが一直線に屹立し、整然と並んでいる様子は、毅然とした人が並んでいるのを見ているかのよう。背骨がまっすぐで、じつに美しい。
 彼らは人間の都合で街路樹にされてしまった。であれば、とことん面倒を見て、いっしょに生きていくのがほんとうだろう。一度飼ったペットを最期まで面倒をみるのと同じ理屈だ。
 自分のことしか考えない住民からの苦情が怖くて、街路樹の葉が落ちる前に枝を伐採するという愚行を平気でやっている自治体がたくさんあるが、この一帯はそういうバカなことをしていないのもいい。落葉樹は、葉が落ちてこそ美しいのだ。落ち葉が汚いと言う人がいるが、おまえの心の方がよっぽど汚いぞと言ってやりたい。

 

 参拝以外はいつもと変わらない日を過ごしている。
 書く、走る、食べる、眠るなど基本的なこと以外のほとんどの時間を読書に費やしている。正月早々、激烈な本にインスパイアを受けた。じつに幸福な時である。
 テレビはもちろん見ない。新聞の番組表を見るだけで、辟易する。どうして日本の正月はこうも低俗な番組だらけになってしまったのか。ほんとうにこういう番組を多くの人は欲しているのだろうか。テレビ局の錯覚なのではないかと思うが、毎年同じような内容が繰り返されているのを見ると、やはり多くの人が欲しているのだろう。(160103 第605回 写真は明治神宮)

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