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紺碧の将

弘法大師の言葉

2007.12.09

 念願の東寺へ行った。

 京都駅から南東へ向かって10分ほど歩くと、突如五重塔が姿を現した。平安時代(西暦800年頃)に創建された時は、平安京の真ん中を貫く大きな通りの入り口である羅城門の東に位置していたため、そのように名付けられることになった。一方、西側には西寺があったが、消失しているままだ。

 唐へ数十年「留学」しているはずだった空海が何を思ってかわずか2年で帰国し、その後、真言密教の体系を携えて嵯峨天皇に直訴。東寺を真言密教の根本道場とし、他の宗教との雑住を禁じることを条件に下賜されたことは有名な話。当時6つの宗派が国教として認められていたというが、それらをおしのけて自分が創り上げた真言密教だけを天皇に認めさせ、その上、東寺を「我がモノ」にするなど、離れ業中の離れ業と言っていいだろう。

 それはともかく、やはり間近に見る五重塔は大きかった。高さ約55メートルは国内最大(ということは世界最大?)。無駄な虚飾を排し、薄化粧で毅然と建つ五重塔はそれはそれは美しかった。

 おりしも紅葉の季節で、周囲は赤やオレンジや黄色のグラデーションが渾然一体となっている。さながら地上は燃えているかのごとく、であった。

 燃える、と言えば、東寺は過去いくたびも消失しているが、そのつど源頼朝、豊臣秀吉、秀頼、徳川家光らが再建している。古くは足利尊氏や織田信長もここに本陣を構えたことがある。そういった諸々のことを思い描きながら境内にたたずんでいると、やがてアブナイヒト状態に。頭の中はタイムスリップし、しばし恍惚状態となっていたのであった。

 東寺の入り口に、弘法大師(空海)の言葉がある。

 

 人の相知る必ずしも対面して久しく話(かたれ)るに在(あら)ず、意通すれば即ち傾蓋(けいがい)の遇なり。長らく交わっても更に心の通わぬ人もあるし、一目見て忽ち心を許しあえる人もある。

 人生は“出会い”によって綴られている。長き間柄であっても、いつしか忘れていく出会いもある。一瞬にして人生を変える出会いがある。一つ一つの出会いを大事にしたい。

 

 電光石火のごとく登場した空海は、どのような “出会い” を体験したのだろう。宗教の革命児にもあまたの出会いがあったはずだが、そのうちの一人は、教養ある嵯峨天皇であったことはまちがいないようだ。

(071209 第25回 写真は東寺入り口にある弘法大師のおことば)

 

 

 

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