多樂スパイス

からっぽ感覚

2012.08.09

 近年、夏の一大イベントといえば、3000メートル級の山を登ることである。

 なんといっても、日常とはまったく異なる世界に身を置いて無心になれる。自分がどういう人間で、どういう立場なのか、思い知らされることがない。ただ、目の前の光景を感じるだけの生き物になる。流れる雲を眺め、肌を撫でる風を感じ、けなげに咲く高山植物に心躍らせる。この「からっぽ」感覚というのは、日常ではなかなか得られない。心のリセットにも、デトックスにもなっているのだと思う。

 今年は初めて八ヶ岳に登った。八ヶ岳の最高峰・赤岳(2899メートル)。昨年登った南アルプスの北岳と比べればかなり楽だが、それでも途中には難所がいくつかある。行者小屋から続く階段、文三郎尾根分岐から続く急勾配の岩場は、気を抜くことができない。うっかり足を踏み外せば、一気に滑落してしまうような危険なところもある。

 それでも、一歩一歩前へ進めば、やがて頂上にたどり着く。この「確実性」がいい。どんなにつらくても、歩き続ければ必ず目指すポイントへ行くことができるのだ。

 頂上で眺める光景をなんと表現すればいいのだろう。ある達成感とともに味わうあの光景は、登った者にしかわからない。

 登山のもうひとつの楽しみは、ビールである。カラカラに喉が渇き、ヘトヘトになるまで歩く。その頃、頭のなかにあるのは、冷えたビールの映像だけだ。それを飲み干すときの快感をイメージし、それだけを頼りに歩き続ける。

 やがて、そのご褒美にあずかる瞬間がやってくる。

 旨い! 旨すぎる!

 もし、「ビールはないけど、ワインか日本酒ならありますよ」と言われたら、テーブルをひっくり返してしまうかもしれない。それくらい、ビールが旨い。

 ふだん、そこまでビールを愛飲しているわけではないが、その時ばかりは100万ドルの飲み物になるのである。

 今回は下山してからも愉しかった。八ヶ岳倶楽部で柳生さんに再会し、登山前に取材した植物細密画家・野村陽子さんのご自宅を訪れ、最後は伊那食品工業のかんてんパパガーデンに行った。

 同行した某社長に、「カズオさんもキレイ好きになって、こういうガーデンを作れたらいいですね」と言ったものの、足の踏み場もない彼の部屋を思い出し、それがいかに無謀なことか、あらためて痛感した。トレンディドラマに出てくるようなゴージャスな部屋よりも、田端あたりの安アパートの一室の方が落ち着くという人だから、他の方法で社会貢献してもらう以外あるまい(田端の人、ごめんなさい。カズオさんが「例えば」」という前置きで使った地名なので、あまり意味はありません。ん? あるか……)。

(120809 第359回 写真は赤岳頂上の社前にて)

Profile

高久多美男

高久 多美男

(撮影:森 日出夫)

●1959年生まれ

●1987年、広告の企画・制作を営む株式会社コンパス・ポイントを設立

●2009年、『Japanist』を編集・発行するジャパニスト株式会社を設立(2019年1月、刊行終了)

●「遊び、学び、仕事は皆同じ」がモットー。すべからく本質を求める

■本は永遠の師匠

19世紀フランス文学から20世紀アメリカ文学、さらには現代日本文学。歴史(特に日本近代史)、あらゆる生活・芸術分野から政治・経済の分野まで、本には強いな愛着を示す

■No Music, No Life

あらゆるクラシック音楽と1950年代以降のジャズ、R&B、60年代以降のロック、ワールドミュージックなど、とにかく雑食

■生涯、美を求めたい

桃山から江戸にかけての日本美術、岡倉天心一派以降の近代絵画を特に好む。ヨーロッパの近代絵画など、こちらも雑食

■敬愛する歴史上の人物

尊敬する人物は大久保利通。ほかに幕末から明治にかけて活躍した男たち。戦国武将では武田信玄、戦後の政治家では岸信介

■思索の遊び

禅、儒学、老荘思想、マキャヴェリズムを組み合わせながら、独自の思想を構築中

■いやなもの

共産主義や日教組などの極端な左翼思想(極端な右翼も嫌い)、地球市民幻想、新興宗教

■その他

日常的に走る他、毎年夏、山に登る。体型はずっと変わらず。便利なことよりも美しさに価値を見いだす

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