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紺碧の将

登呂遺跡に見るストックと格差

2024.03.24

 静岡へ行ったついでに登呂遺跡を訪れた。

 登呂遺跡は、弥生時代後期(約2000年前)の集落群である。太平洋戦争中の昭和18年、軍需工場を建設する際、発見され、戦後発掘調査が行われ、復元工事が進められてきた。集落の北川に居住エリアが、南側に水田がある。登呂遺跡は4つの時期を変遷し、その間に2回、洪水に見舞われている。ここで復元されているのは、1回目の洪水前の姿。

 住居は地面を掘らずに竪穴式住居と同じ構造で作った平地住居。稲などを保管する倉庫は湿気を防ぐため、高床式になっている。

 展示室では弥生人が作った土器などを見ることができるが、2000年前とは思えないほど巧妙な作りだ。

 思えば、土地を所有し生産物をストックするようになったこの時代から、人と人が争い始めることとなった。稲作文化は人間に多くをもたらしたが、皮肉なことに「持てる者」と「持てない者」という格差が生じるきっかけともなった。嫉妬という感情が生まれたのもこの時代ではないか。

 では、縄文時代のままでよかったのかと問えば、断じてそうとは言えない。人間が進歩することの意義を考えないではいられなかった。

 

当時の予想図の前に生活用具の模型がある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

倉庫。立体と平面図を組み合わせている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祭殿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水田

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(240324 第1215回)

 

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