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紺碧の将

タイパという退化

2024.01.21

 タイパという言葉がある。タイム・パフォーマンス(時間的効率)の略だ。コスパ、モラハラ、カスハラなど、やたら略語が目立つこの頃だが、それはいいとして……、問題はその中身である。

 業務における無駄を省こうという意味ではないことは明らかだ。業務の無駄を省き、効率を上げるという考えは当たり前のことであり、あえて唱える必要もない。つまりどういうことかといえば、「最小限の時間で最大限楽しむ」ということらしい。

 例えば、サビだけ歌える「サビオケ」が人気だという。サビに至るまでは「時間の無駄」とし、短時間で最大の楽しみを得るのだと。当然だが、そういう人は曲の全体を知らない。彼ら彼女らに、「ベートーヴェンの『第九』は第3楽章があるからこそ第4・5楽章の歓喜がある」と説いても無駄なことだろう。言うまでもないが、音楽はサビだけが重要ではない。そこに至るプロセスを含め、全体があってこそ、その価値がある。

「10分で読める」を謳い文句にした書籍の要約サービス「flier(フライヤー)」も人気のようだ。その名の通り、長い本でも10分で読めるという。

 要約を読めば、たしかにおおまかな内容を理解することができるだろう。しかし例えば小説の場合、その物語になった背景には、多くの人間の関わり合いと決断の連なりがあったということを忘れてはならない。本来、そういうものにこそ人間の機微があり、それを学ぶことによって人間的な深みが増すのだと思う。そう考えると、その「10分」は無駄になっているともいえる。

 タイパを重視する人たちは「時間を無駄にしたくない」と言うが、それによって大事なものを失ってはいまいか。例えば、人類に残された豊穣な文化的・芸術的遺産を味わうことは、一見無駄なことに思えるが、現代のビジネス本を何十冊と読むより、多くの智慧と悦びをもたらしてくれる。

 拙著『葉っぱは見えるが根っこは見えない』に「人には2つの住所がある。実際に住んでいる場所と人間関係における住所」と書いた。

「カラマーゾフの兄弟もドン・キホーテもレ・ミゼラブルも読みましたよ。全部で30分でした」と言う人とは人間の住所が異なる。生涯、交わることはないだろう。

 が、タイパを入門コースととらえれば、あながち否定するものではないかもしれない。NHKの「100分de名著」もそのひとつであろうし。入門コースをくぐって本物を味わいたいと思う人が少しでも現れれば、それでいいともいえる。

 いずれにせよ、タイパという言葉は私をゾーッとさせる。

(240121 第1207回)

 

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