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紺碧の将

1年があっという間の理由

2022.05.16

 気がつけば5月中旬。今年もあと1ヶ月半で半分が終わってしまう。「光陰矢の如し」。だれもが感じていることだろう。小学生の頃と比べて、大人になってからはなんと時間の進むのが速いことかと。

 私もそう思う一人だが、この現象は、ただ大人になったからという理由ではないと思う。新たな出会いや初めての体験など、日常に新鮮さがなくなったから、時間のスピードが増しているのではないか。

 昨年、子ネコが2匹、わが家にやってきたことは書いた。彼女たち(2匹ともメス)を見ていると、日常が発見や驚きなど、ワクワクドキドキに満ちているということがわかる。生活空間に見慣れない物、例えば小さな箱ひとつ増えても、異常なほど興味を示す。目を皿のようにし(もともとクリンクリンの目であるが)、恐る恐る近づいてその物が安全かどうかを確かめようとする。ネコとはいえ、そういう興味を失ったとき、寝ている時間が増える。このことは人間にも当てはまる。

 学生時代、特に幼稚園や小学生の頃は、毎日が大きな変化に包まれていた。初めて会う人がたくさんいて、初めて経験することがたくさんあった。そして、自分がどんどん変わっていった。

 ところが、ある程度の年齢になると、日々の生活に変化がなくなってくる。いつも同じ人と会い、同じ場所にしか行かないという人だっている。そうなったとき、生活の新鮮さは失われ、時間のスピードが速く感じられるのではないだろうか。それを本能的に知ってか、人はときどき旅に出るのだが、少しばかりの旅でその流れを変えることはできない。

 ひるがえって自分のことだが、『Japanist』を編集・発行していた10年間は、じつに時間の経つのが遅かった。50歳で始まり、60歳で終えるまで、20年くらい過ぎているとさえ感じた。

 理由は簡単だ。初めて会う人がたくさんいて、しかも取材が多かったから、丹念に相手のことを調べた。すると、それまでに聞いたこともないような人生のドラマに触れる。本来なら、仕事に追われ、あっという間に時間が過ぎると感じてもおかしくはないはずだが、あの10年間はあまりにも濃密で、その分、時間のスピードが遅かった。

 その後、『Japanist』が終刊となり、時間的な余裕ができた。日々の生活は、ほぼルーティン化している。ヘタすると秒単位まで同じということもある。これはこれで快適なのだが、反面、生活の変化は少ない。

 ふと、思った。ウクライナの人々の時間のスピードはかなり遅いだろう、と。砲撃や脅迫にさらされる時間が速く過ぎるわけがない。1分が1時間にも感じられることもあるだろう。そう考えると、なにごともなく毎日が速く過ぎるのは、案外いいことなのかもしれない。

(220516 第1128回)

 

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