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3000メートル級の山でお浄め

2011.08.10

 毎年この時期になると、高い山に登る。目安は3000メートル級。国内でそれだけの高さを誇る山はそうざらにあるわけではない。ほとんどが北アルプス・南アルプスに集中している。

 最初に登った山は登山家憧れの山・槍ヶ岳だった。これは盟友・高久カズオ氏になかば騙されるような形で行くこととなった。かなり苦しい思いをしたが、その1回だけで山に魅了されてしまった(拙著『なにゆえ仕事はこれほど楽しいのか』に詳しい)。以後、北穂高岳(2回目のトライで登頂)、立山、仙丈ヶ岳に登頂している。

 さて、今年はどこにしようか、と選ぶのも登山の楽しみのひとつであるが、今回は『Japanist』にご支援いただいている早川裕雄氏のアドバイスに従って、日本第2の山・北岳を目指すこととなった。

 現時点ですでに登頂を果たし、下山しているのだが、北岳登山については次回に回し、今回は山の魅力について書いてみたい。

 

 山のてっぺんに登り、下ってくる───。

 ただ、それだけのことだ、さまざまなスポーツにある複雑なルールと比べると、いたってシンプルである。しかも、登るときはひたすらしんどいし、下るときもそれに劣らずしんどい。早い話、地下鉄の階段を延々6時間も7時間も歩くような感じである。勾配がきつい箇所は地下鉄の階段どころではない。地下鉄の階段であれば、15分も歩き続けたらウンザリしてしまうだろう。しかし、山では何時間でも登り続けることができる。しかも、足場は舗装された階段なんかより相当悪いのに……。それが不思議である。が、見方を変えれば、当然ともいえる。

 なぜか?

 山には特別のエネルギーが充満しているから、というのが私の見方だ。それ以外に考えられない。

 山には多くの木が生えている。木は大地から栄養をもらい、太陽の光をうまく利用してエネルギーに変換するという超離れ技をやってのけている。それも、ただひたすら黙々と。つまり、地球という生命体の生命活動を集中的に営んでいる場、それが山なのだ。おそらく強烈な場の力が湧出していることだろう。ただ、われわれ人間の目に見えないだけだ。しかし、前述のように歩いてみてわかるのである。こればかりはいくら理屈をこねても伝わることはないだろう。実際に体験してみないと……。

(110810 第272回 写真は穂高連峰の麓、涸沢近辺の雪渓 ※2008年))

 

 

 

 

 

Profile

高久多美男

高久 多美男

(撮影:森 日出夫)

●1959年生まれ

●1987年、広告の企画・制作を営む株式会社コンパス・ポイントを設立

●2009年、『Japanist』を編集・発行するジャパニスト株式会社を設立(2019年1月、刊行終了)

●「遊び、学び、仕事は皆同じ」がモットー。すべからく本質を求める

■本は永遠の師匠

19世紀フランス文学から20世紀アメリカ文学、さらには現代日本文学。歴史(特に日本近代史)、あらゆる生活・芸術分野から政治・経済の分野まで、本には強いな愛着を示す

■No Music, No Life

あらゆるクラシック音楽と1950年代以降のジャズ、R&B、60年代以降のロック、ワールドミュージックなど、とにかく雑食

■生涯、美を求めたい

桃山から江戸にかけての日本美術、岡倉天心一派以降の近代絵画を特に好む。ヨーロッパの近代絵画など、こちらも雑食

■敬愛する歴史上の人物

尊敬する人物は大久保利通。ほかに幕末から明治にかけて活躍した男たち。戦国武将では武田信玄、戦後の政治家では岸信介

■思索の遊び

禅、儒学、老荘思想、マキャヴェリズムを組み合わせながら、独自の思想を構築中

■いやなもの

共産主義や日教組などの極端な左翼思想(極端な右翼も嫌い)、地球市民幻想、新興宗教

■その他

日常的に走る他、毎年夏、山に登る。体型はずっと変わらず。便利なことよりも美しさに価値を見いだす

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