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父の臨終を看取る幸福な家族の姿

file.221『無名』沢木耕太郎 幻冬舎文庫

 

 沢木耕太郎の文体は個性が強くないが、影響力は甚大だと言っていいだろう。

 私の友人も学生時代、沢木耕太郎の『深夜特急』を読んだことがきっかけでバックパックの旅に魅了され、夏休みにバイトをしては貯めた金で東南アジアやアフリカへの自由な旅を楽しんでいたという。アフリカでマラリアに感染して帰国するという〝おみやげ〟まで持ってきた。そのときの体験談を聞くと、マラリア感染がいかに過酷なものかわかる。体温が40度と30度を乱高下するというのだ。

 

 本書は沢木耕太郎オハコの〝旅もの〟ではない。89歳の父親が脳出血で倒れて入院し、母、二人の姉と看病する様子と、死去してから父の俳句を本にするという顛末を詳細に描いている。

 タイトルの無名とは、父親のこと。父は仕事や生活力に関しては平凡そのものだった。一合の酒と本があれば幸せという人生をまっとうした。いつも物静かだが、息子の耕太郎に多大な影響を与え続けた。息子もまた、そんな父親を心から信頼し、親愛の情を持ち続けてきた。息子だけではない、家族全員が父を愛おしみ、あらんかぎりの介護を続けた。

 家族は互いに丁寧語で話す。他人行儀というものではなく、心底から相手を敬っているからこそ出てくる、自然な言葉遣いだった。

 父は結婚後、小説家を志したことがあった。妻に「1年間だけ時間をくれ」と言い、了解を得てから小説を書き続けるも、半年で断念した。自分には小説を書く才能がないことがわかった、と。あきらめが早いというか、ふんぎりのつけかたが潔い。家族を思う人だったのだ。そういうまっとうな人は小説家には向いていないかもしれない。

 父は40歳を過ぎてから小さな鉄工所で働くようになり、どういうわけか溶接に魅せられるようになる。そして勤めていた鉄工所が廃業するのをきっかけに、溶接の事業を起こす。

 父は息子に語る。バーナーから出る炎がいかに美しいかと。

 沢木耕太郎がプロの物書きになってから最良の読者は、父だったかもしれない。新しい本が出るたび、「こんどの本もすばらしいね」と褒めた。よく聞く話として、父と息子の相剋があるが、沢木父子にそういう歪んだ感情はなかった。むしろ耕太郎はプロになってからも父の膨大で深遠な知識を畏れていた。「世の中には、たとえ無名であってもどこかにこのような人たちがいるのだと思うと、無邪気にはしゃぐわけにはいかなかった」と書いている。そして「私がノンフィクションを書いたのは、知っている範囲のことしか書けないと思ったからかもしれない」と。そうだとすると、父は無言のうちに、息子に一定の節度をもたらしていたということだ。

 耕太郎が本の世界に興味を抱くきっかけとなったエピソードも描かれている。中学3年生のとき、小田実の『何でも見てやろう』と日本文学全集のなかの『太宰治集』を買ってくれたのである。以来、耕太郎は推理小説と時代小説以外の小説全般を読むことと旅をすることに熱中するする。父に蒔かれた種が、耕太郎少年の心のなかで発芽したのだ。

 父との思い出をしみじみ思い出す息子は、父の棺に、父がいちばん好きだった佐藤春夫の『田園の憂鬱』を入れた。それから、父が遺した俳句を丹念に整理し、『その肩の』という名の、シンプルで美しい句集を自費出版し、親類縁者に配る。

 沢木耕太郎と父の関係は、『三国志』に出てくる水魚の交わりを彷彿とする。二人とも幸せな人である。読後感はきわめて爽やかである。

 

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