幸せはどこにある?(7)
前回までの〝肝〟は、幸せはある目的に向かっていくプロセスのなかにある、ということ。
それは間違いではないだろう。しかし、決定的に不足しているものがある。それだけなら、「ある目的に向かっている」状態ではないときは幸福感を得られないことになってしまう。とりわけ、死を目前にした人にはけっして幸福感は訪れない。あらゆる人が、自分は不幸だと思いながらあの世へ逝くことになってしまう。それは身も蓋もないし、真実でもない。
現に、死を間近にした人が、「いい人生だった。幸せだった。ありがとう」とつぶやいて穏やかな表情で息を引き取ることがある。「ある目的に向かっている」わけでもないのに。
とすると、ある時期までは、ある目的に向かっていくプロセスのなかに幸せがあり、それをやりきったという実感があれば、最期まで自分は幸せだったと思えるということではないか。反対に、やりたいと思いながらやらなかった悔恨は、日増しに募っていくのだろう。
ひとつの答えを前にして、己に問う。おまえはどうなのか、と。
ずっと好きなことをしていると思う。悔いはないし、これから先もやりたいことがたくさんある。
ほんとうにそうなのかは、また数年後考えてみよう。
(251221 第1302回)
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