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幸せはどこにある?(6)

2025.12.14

 そろそろこのテーマに、とりあえずの結論を見出したい。しかし「これが幸福だ」「幸福はここにある」と断定することは永遠にできないとも思っている。かのアラン、ラッセル、ヒルティによる「世界3大幸福論」でさえ、何かが欠けていると思わざるを得ない。

 ある時期、GDPに替わる指標として、GDHというものが脚光を浴びた。GDHとはGross Domestic Happinessの略で、「国民総幸福度」とでも言えようか。GDHは国内で創出する経済的価値を表すが、それだけでは国民の幸福度は測れないということで考えられた指標だった。

 しかし、その測定方法はじつに曖昧だ。そもそも幸福度を数値で表すことなど絶対にできない。そこで「あなたは自分が幸せだと思いますか」というアンケート調査に頼ることになる。

 その結果、ブータンのGDHが高いと言われたが、現在はどうなのだろう。ブータンも経済成長を追わないはずはない。少しずつ経済的に豊かになるにつれ、ブータンの国民の幸福度はどう変化しているのか興味があるが、それらについてのレポートを見たことはない。

 

 医師の鎌田實氏は、「幸せは、幸せをめざしているプロセスのなかにある」と語っている。苦しみや悲しみのない、精神的にも物質的にも満たされた状態をめざす過程のなかに、幸せは隠れている。だから、現在、苦しみや悲しみのなかにいる人たちも幸福になれる可能性があるのだ、と。

 また、生命学を研究する森岡正博氏は著書『無痛文明論』で、「モノと金と安定を手に入れた人々が得たものは、けっして幸福ではなかった。痛みや苦しみが少なくなり、快楽や快適さが増加したにもかかわらず、心の中は空虚という状態だったのである。無痛化すればするほど、その瞬間は苦しみが消えて、気持ちがいいのだけれども、そのあとでふたたび心の空洞が襲ってきて、なんともいえない息苦しさに悩まされる」と書いている。

 両者の見立てはどちらも間違っていないと思う。

 しかし、「精神的にも物質的にも満たされた状態をめざす過程のなかに幸せは隠れている」のに、そういう状態になって無通化すればするほど、「心の空洞が襲ってきて、なんともいえない息苦しさに悩まされる」という矛盾をどう解釈すればいいのだろう。結局、永遠に幸せにはたどり着かないということか。いや、そんなことはあるまい。

(251214 第1301回)

 

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