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紺碧の将

幸せはどこにある?(5)

2025.12.07

 前回、金について書いた。大金を追わないということは、大きな仕事をしないということにもつながる。表面的に読めば、「なんだ、リスクを犯すんじゃないということか」ということにもなるだろう。しかし、さにあらず。

 どう言えばいいのだろう。例えば、世の中の一般的な人とは著しく異なるクリエーターの多くは、生活をルーティン化させ、その安定の上に常人では表現し得ない世界を築き上げていることが多い。けっしてハチャメチャな生活を送っているわけではないのだ。毎日の行動様式が習慣化すると(=ルーティン)、無意識の領域とうまく交信できるようになり、創作の井戸が枯渇しないという。

 仕事と金についても同様のことがいえる。基本形はあくまでも安定基盤を築くことを目指す。そのうえで、自分の分限に合った冒険をする。すると、その冒険に対し、最大限のエネルギーを注ぐことができる。

 私の場合、意識したわけではないが、20代後半で億近い借金をして社屋を建てたことや、40代で『fooga』を、50歳のときに『Japanist』を始めたことや、60代に入って歴史小説を書き始めたことなどがそうだ。大事業をなした人から見れば、砂粒のような出来事かもしれないが、私にとっては大事件である。社屋をつくったのも、前回書いたように、ある程度、小金が淀みなく入ってくる仕組みをつくったからできたのであって、いきなり無鉄砲に大きな借金をしたわけではない。

 もし、石橋を3回叩いて渡るような仕事を続けてきたとしたら、それはそれで後悔があっただろう。しかし、存分にやっているという自負があるから悔いはないし、記憶をたどっても幸福なシーンが多い。もしかすると、これからもひとつくらいは冒険をするかもしれない。

 人にはそれぞれ「分」というものがあるが、私には一か八かの無謀な大冒険をする分がない。賭け事に興味はないが、もししたとしても、大きな賭けはしないと思う。

 自分とは「自らの分」と書く。この真意はわからないが、生来備わった能力と考えてもいい。

 まずは自分の分を知る。それが幸福につながるのではないだろうか。

(251207 第1300回)

 

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