幸せはどこにある?(2)
前回は、幸せとは相対的・流動的であり、同じ現象であっても、幸せと感じることもあれば、感じないこともあるということを書いた。
今回はさらに、「幸せには耐性がある」と付け加えたい。どういうことかといえば、幸せと感じるレベルは、幸せを感じるたびに上がるということ。ハードルが上がると言い換えてもいい。あたかも、雑草を除こうとして除草剤を使っても徐々に効き目がなくなり、以前より多くの除草剤を使わなければならないのと同じように、同じ幸せを得るには、より高いハードルを跳び超えなければならない。
私は27歳で起業したとき、なけなしの金をはたいて350万円の資本金を準備した(そのうちの45%くらいは数人の顧客に出資してもらった)。事務所を借り、最低限の設備をそろえると資本金は枯渇しそうになっていた(それなのにオーディオ装置を買ったのはどういうわけ?)。
そのとき思った。会社の口座に1,000万円あったら、どんなに安心だろうと。ところが数年たって会社の口座にそれ以上の残高があるのを見たとき、安心感などみじんもなかった。それ相応に経費が増え、大きな借金をし、責任が大きくなっていたからだ。幸福感と同様、安心感も相対的・流動的であり、より耐性が強くなっていくのである。
そのとき、こう考えた。刻々と高くなっていくハードルを跳び越えるため、永久に跳躍力を高めていくことは不可能だ(数字は青天井だから)。そのかわり、幸せの定義を自分なりにつくりかえよう。つまり、幸せと感じるための、自分なりの基準を新たにつくろうと考えたのである。当時は「幸せ」などと考えたわけではないが、今思い返せば、そういうことになる。そもそも「幸せとは?」などと理屈で考えているような人は、幸せなど感じないだろう。
しかし、そのときに考え、実行したことは間違っていなかったようだ。なぜなら、私は66歳の今に至るまで、ずっと自分は幸せだと感じながら生きてきたのだから。
(251116 第1297回)
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