愛着の持てる物と生活する
ある日、遠方の訪問先に傘を置き忘れてきたことに気づいた。まあ、いいか、安物だし、愛着もないから。わざわざ取りに行ける距離ではないし、送ってもらうのも気が引ける。そう思ったとき、罪悪感を覚えた。おそらくその傘はゴミになっただろう。
愛着がないから、なくなっても惜しくない。物に執着するのもどうかと思うが、執着(愛着とも言う)がなさ過ぎるのも問題だ。
それを機に、ここはひとつ自分好みの傘でも探そうという気になった。そしていくつかのデパートを覗き、ひとつを選んだ。それが右上の写真。
デザインはイタリア、製造は日本。広げると表面は黒で内側が紺碧色。取っ手のところに「Orobianco」というブランド名が印されたイタリアンカラーのリボンがついている。出かける時、ずっと雨が降ると予想するときだけこの傘を使用するが、出番はあまりない。それでも、愛着を覚えるアイテムを手にし、ご満悦。
ずっと「欲しい物がない」と思ってきたが、やはり買い物は楽しい。ドーパミンが分泌される。
それから数日して登山用のリュックを買い替えようと思った。私はオレンジ色も好きで、Mamut(スイス)のリュックを選んだ。ただし、このリュックは全体がブルーで、イメージカラーのオレンジは紐に使われているだけ。そういう抑制されたデザインも洒落ている。
もうひとつ、夏用のスニーカーも買い替えた。あれこれ迷ったものの、選んだのはナイキ。これならいろいろなボトムに合う。
買った物を公開するのは無粋だと思うが、ときには買い物も楽しいという話である。ふたたび今は欲しい物がなくなってしまったが……。
(250817 第1284回)
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