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十のものを七つしかいわない美しさ

file.200『陰翳礼讃』谷崎潤一郎 角川ソフィア文庫

 

 谷崎潤一郎という人は稀有な感性をもつ作家だ。愛する女性を神のごとく崇め、かしずき、下僕のように仕えるなど、明らかにМの嗜好がある。そんな小説家が著した文化論的随筆集である。本書には表題作のほか「現代口語文の欠点について」「懶惰の説」「客ぎらい」「ねこ」「半袖ものがたり」「厠のいろいろ」「旅のいろいろ」が収められている。

 谷崎は関東大震災をきっかけに、東京から関西に移ることを決意した。兵庫県武庫郡岡本梅ノ谷(現・神戸市東灘区岡本)に自宅を建て、死ぬまでその地で暮らした。墓は京都の法然院にある。

 谷崎が東京に愛想を尽かしたのは、震災後の復興で昔の江戸情緒が失われたからであった。なかでも電燈によって住居の隅々まで光によって照らされるという〝西洋化〟が我慢ならなかったようだ。そういう価値観は「西洋人は垢を根こそぎ発き立てて取り除こうとするのに反し、東洋人はそれを大切に保存して、そのまゝ美化する」「まあどう云う工合になるか、試しに電燈を消してみることだ」などという記述に表れている。

 谷崎の美意識には同感できる点が多い。現代の巨大な商業ビルには必ずといっていいほど広いレストラン街があるが、たいてい明るすぎる。同席している人の毛穴まで見えてしまう始末で、情緒もヘチマもない。そういう点では、現代日本の都市空間が情緒を失ってしまっているということはまぎれもない事実だ。白熱灯の下で酒を呑むことに違和感を感じない人が多い。本来、酒を呑んでいるときも食事をしているときも無防備の状態であり、明るい場所では落ち着かないものだ。

 陰翳を礼讃するかどうか、その違いの背景には、文化や気候などさまざまな要素が関係している。フランス宮廷御用達のセーブル磁器は、よく光が届いている生活のなかで使われることを、日本の楽茶碗は薄暗い居室で愛でられることを前提にしている。セーブル磁器はブルーやピンクなど鮮やかな色を多用し、わずか縦1センチほどの楕円のなかに精密な肖像画を描いたものもある。薄暗いところでは、その際立った技術は見逃されてしまう。一方、明るいところで楽茶碗を見たら、なんだか形がいびつで薄汚い器としか見えないだろう。

 「現代口語文の欠点について」の考察もユニーク。言葉は時代の変遷につれて変質するものだが、私が「〜ので」の多用に辟易し、「ヤバい・めっちゃ・マジ」に抵抗を感じるように、谷崎も当時の口語文に異議を唱えている。とはいえ、さすがは手練れの作家の考察、平板ではない。「日本語の表現の美しさは、十のものを七つしかいわないところ、言葉が陰影に富んでいるところ、半分だけ物をいって後は想像に任せようとするところにあって、真に日本的な優雅の精神というものはそこから発している」という一文に彼の透徹した意識が垣間見える。

 それにしても谷崎先生、ネコが好きなようで、いっそう共感を覚えました。

 

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