死ぬまでに読むべき300冊の本
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紺碧の将

論理の飛躍があらわにするもの

file.058『外科室・海城発電 他五篇』泉鏡花 岩波文庫

 

 泉鏡花の小説は定石を踏まない。圧倒的なまでに強引。プロットの矛盾を指摘しないではいられない人は、読み進めるのが困難だろう。

 語り手である画家の「私」は、ほんの好奇心から、友人である医師の高峰が執刀する手術を見学させてもらうことになった。患者は伯爵夫人という高貴な身分の女性。

 9年前、高峰と伯爵夫人は、たった一度、植物園ですれ違ったことがある。そのとき、目を交わしただけで愛し合ってしまった。しかも、9年の時を経た今もその気持ちに変わりはない。むしろ、恋心は募るばかり(という、まったくもって、ありえない話)。

 女は胸の病を患い、まさに執刀を受けようとしてベッドに仰臥している。しかし、女は麻酔を拒否する。

「私はね、心に一つ秘密がある。麻酔剤は譫言(うわごと)を謂うと申すから、それがこわくてなりません。どうぞもう、眠らずにお療治ができないようなら、もうもう快(なお)らんでもいい、よしてください」

 夫である伯爵は、「私にも聞かされぬことなのか、奥」と訊ねる。女は決然と、「誰にも聞かせることはならない」と答える。

「麻酔をしたからといって、必ずしも譫言を言うとは限らないじゃないか」とさとす夫に対し、女は「否、このくらゐ思つてゐれば、きつといひますに違ひありません」と答える。

「夫人、貴下の御病気は其様な手軽いのではありません。肉を殺いで、骨を削るのです」と諫める医博士にも「ちっともかまいません」と言い放つ。

 手術は一刻を争うため、高峰は麻酔を打つことなく夫人の体にメスを入れ、胸を掻き開ける。間髪おかず血汐が胸よりつと流れる。鏡花はそれを「雪の寒紅梅」と表現するが、色彩感覚の鋭さも鏡花文学の醍醐味である。

「痛みますか」

「否(いえ)貴下(あなた)だから、貴下だから」

「でも、貴下は、私を知りますまい」

「忘れません」

 夫人は激痛に耐えながら、男の持っているメスを自分の胸に突き刺す。

——その時の二人が状、あたかも二人の身辺には、天なく、地なく、社会なく、全く人なきが如くなりし。

 その日、高峰も女のあとを追う。高峰もずっと伯爵夫人を愛していたから。

 

 なぜ、目を交わしただけで9年間も愛し続けることができるのか。まともな小説であれば、二人がそうなるに至った経緯を緻密に描くはずだ。それがなければ、荒唐無稽な話で終わってしまう。

 しかし、泉鏡花の筆の強さは、そんなことはとるに足らないことにしてしまう。人間にはそういうこともありうるのだと思わせてしまうのだ。これを筆力と言わずして、なんと言うか。

 常識破りという言葉があるが、泉鏡花は確信犯的常識破りでもある。そういう荒業を駆使しなければ表現できないものがあるということを知っていたのだ。ピカソがキュビズムに至ったように、とんでもない論理的飛躍ができたのは鏡花の天才性にほかならない。

 

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●『葉っぱは見えるが根っこは見えない』

 

●「美しい日本のことば」

 今回は、「五月雨」を紹介。「さみだれ」です。梅雨の季節に東北を旅していた松尾芭蕉も――五月雨を集めて早し最上川 と詠んでいます。続きは……。

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