死ぬまでに読むべき300冊の本
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紺碧の将

〝心技体〟そろった本

file.053『苔のむすまで』杉本博司 新潮社

 

 相撲や柔道など、日本独自の国技や武道では、しばしば〝心技体〟が重要だと言われる。精神力、技術、身体の強さを指しているのは言うまでもない。

 私が好きな本も心技体そろったものが好きだ。すなわち、書き手の思想や感性、人生観などの「心」、それを文章として表す独自の文体と表現力の「技」、そして書籍の体裁としての独自性、美しさなどの「体」である。電子書籍が〝書籍〟ではないことは言うまでもない。

 平安時代や鎌倉時代につくられた「平家物語納経」「和漢朗詠集」「古今和歌集」などの写本は、贅の極みともいえる料紙を用いられ、国宝中の国宝といっていいが、それらはまさに〝心技体〟そろった典型といえよう。

 わが国にはそういう文化遺産があるにもかかわらず、昨今は簡単作りの本ばかりが跋扈している。ソフトカバーは仕方がないとして、少しでも目立たせるためにけばけばしい色使いにしたり、タイトルを立体的にしたり文字に縁をつけたり、エキセントリックなタイトルをつけたり……とあえて品を下げている本が目につく。もちろん理由は、売るために目立つような仕掛けをしているからだ。

 今回紹介する杉本博司の『苔のむすまで』は心技体そろった稀有な本である。

 A5版ハードカバー。表紙カバーのモノクロ写真は一見するとなにを写しているのかわかりにくいが、ニューヨークの世界貿易センタービルである。左下に、名刺の名前ほどのサイズでタイトルと著者名が記されている。きわめてシンプルなデザインが「体」を表している。

 ページを繰ると、さらに体の美しさが際立つ。見開きの左ページに杉本氏の作品(写真)がある。おなじみの海をはじめとした自然、古代遺跡、古美術や現代美術の作品、肖像画、都市の風景、はたまた焰など眺めているだけで得も言えぬ感懐を覚える。章のはじめには杉本氏による自問自答があり、興味を喚起される。たとえば、タイトルにもなった「苔のむすまで」の章。昭和天皇の蝋人形を写した写真の右に次のような自問自答がある。

 

Q 昭和天皇はどのような人でしょうか。

A 地味な植物学者ですが、神の視点をお持ちです。

Q と言いますと。

A 私の好きな言葉にこういうのがあります。「世の中に雑草という名の植物はない」。もちろん人を草にたとえたものである。

 

 けだし名言というものだろう。

 

 驚くことに、あとがきに「この歳になるまで文章を書くとは露ほども思っていなかった」とある。雑誌「和楽」の編集長に乞われて毎月10ページの連載が始まった、と。

 それにしては文章の精度、表現力が手練れである。とてもにわか仕込みとは思えない。骨董商をやっていたという経歴から、本物に接すること、真贋を見極めることには長けていたのだろうが、それだけであれほどの文章が書けるとは思えない。まさに心技体三拍子そろっているのだ。

 内容も豊富である。文明論や芸術論はわかるとして、先述の「苔のむすまで」の章では、外国との戦争を軸にして日本の歴史を振り返っている。芸術家の多くは社会音痴だと思っていたが、さにあらず。天皇が象徴であるのは後鳥羽院の時代からであることまで喝破している。とても並の眼力ではない。ヒュースケン、モース、フェノロサ、マルロー、ハリー・パッカード、シルバン・バーネット、ウィリアム・ブルトら、日本の文化・芸術に魅了され、それらの保護に多大な貢献をしてくれた外国人もたくさん出てくる。アメリカ国籍を得て、より深く日本を知りたくなったという杉本氏の意識は、同様に外国から日本をつぶさに見て日本の真髄に魅了された彼らへの共感となっているのだろう。

 出版業の末席に座している身だが、ひとつでいいからこのような〝心技体〟そろった本をこの世に出したいものだ。

 

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