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ココロバエ
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過去に生きた人たちの叡智や失敗を現代と未来に活かす

file.024『保守思想のための39章』西部邁 中公文庫

 保守と革新、政治の世界でなにげなく使われている言葉だが、厳密にその意味を知る人は少ない。言葉のニュアンスだけだと、保守は旧弊にしがみつく頑固なイメージが、革新は旧弊を打破し、世の中を変える新しい勢力というイメージがともなう。

 保守思想の論客としてリーダー格だった西部邁は、自ら命にピリオドを打ってしまったが、彼が遺したいくつもの著書は時代の変化にあらがい、人類の知的財産として未来の人たちに「保守」してもらえるにちがいない。

 西部は、保守と革新をこう定義している。

 ――保守的であるとは、見知らぬものよりも慣れ親しんだものを好むこと。愛着を寄せる対象が破壊されることを強く懸念する。それに対し、進歩主義は、新しいというだけの理由によって肯定的に受け入れようとする。

 

 この説明は非常にわかりやすい。なぜ保守派の人たちが歴史や伝統を重んじるのか、なぜ革新派の人たちが過去を否定し、自分たちで新しい制度をつくろうとするのか。

 私は共産主義を蛇蝎のごとく嫌っているが、その最大の理由は、過去に生きてきた人たちを蔑ろにし、自分たちこそ正しいという無謬性(むびゅうせい)にある。共産主義は宗教を否定するが、宗教以外に無謬性を求めることは不可能だ。自らが新興宗教のひとつだからこそ、無謬性の原則を盲信し、革命が果たされた後、旧勢力に属する人を粛清する。ちなみに、中国の革命では約6500万人、ソ連は2000万人、その他、北朝鮮やカンボジア、東欧諸国などでおびただしい数の人が粛清されている。こういう人類の歴史を概観すれば、「弱い者の見方」というカモフラージュに惑わされないはずだ。

 西部はこうも語る。

 ――保守思想の愛国心には国民への信と疑がともども含まれている。おのれらの弱点や欠陥をルールの歴史的形成によって乗り越えてきた国民を愛そうということである。

 

 つまり、過去の人たちがやってきたことには尊重すべきところと反省すべきところがあると理解しているのである。けっして無謬性に陥らない。そのリアリズムが健全である。

 こういった思想の背景に、スペインの思想家、オルテガ・イ・ガセットやイギリスの批評家、ギルバート・チェスタトンの影響があることは明白だ。オルテガは名著『大衆の反逆』において、本質からかけ離れた民主主義の暴走に警鐘を鳴らしているし、チェスタトンは「資本主義は砂漠に育つ怪物。古い形の文化がないところ、あっても微弱なところならどんな空間にでも、あの産業主義の奴隷根性文化が伸びるのである」と言って、資本主義が抱える自己矛盾を暴いている。

 だからこそ、中庸という考え方が必要なのだ。中庸は中国の古典にもあるが、保守思想家も中庸を図ろうとする。中庸とは対立する二つを足して二で割ることではなく、対立するものを最大限にまで強めた上で、それぞれの平衡を保つことである。

 しかし、実際はどうであろうか。戦後、われわれ日本人は、それぞれに犯すべからざる人権があり、個人の欲望を肥大化させ、それが実現するよう主張することが〝民主主義〟だと誤解してきた。自分たちに都合のいい制度を、自分たちでつくってなにが悪い! と。これこそが「大衆の暴走」であり、「大衆の反逆」の源である。

 そこで西部はチェスタトンの言葉を援用する。

 ――伝統とは、あらゆる階級のうち最も日の目を見ぬ階級に、つまりわれらが祖先に投票権を与えることを意味する。死者の民主主義なのだ。単にたまたま今生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどというのは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何ものでもない。われわれは死者を会議に招かねばならない。古代のギリシャ人は石で投票したというが、死者には墓石で投票してもらわなければならない。

 

 この考え方に、驚きを通り越して、感動さえ覚えた。死者は、「過去に生きた人=現代ではなにもできない人」ではなく、彼らも現在の政治に参加させよというのである。その背景には、かつて生きていた人たちのなかに、人類の叡智が無限にある。それを活用しない手はない。また、過去に生きた人たちに崇敬の念を持つのは現代人の責務であるとも言っている。

 最後に、西部の「大衆人」の定義を紹介しよう。

 ――どんなに多くの教育を受けようが、いかに大きな財産を持っていようが、どのように高い地位にいようが、その人の精神にして下等ならば、大衆人だということである。

 何をもって精神の上等と下等を区別するのか。おのれに懐疑を差し向けているか(それともおのれに満足しているか)、さまざまな価値の葛藤のなかで平衡を持そうしているか(それとも特定価値のみを過剰に追求して不徳にはまっているか)、近代主義を歴史の英知によって批評しているか(それとも近代主義を奉じつつ歴史の破壊に喜びを感じているか)、といったようなことになる。

 大衆人の見本は専門人である。専門人が社会のあらゆる部署の権力を掌握した事態、それを高度大衆社会と呼ぶことができる。その見本は、アメリカと日本である。

 

 じっくり玩味して、腑に落としたい言葉である。

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Profile

髙久多美男

髙久多美男

(撮影:森 日出夫)

●1959年生まれ

●1987年、広告の企画・制作を営む株式会社コンパス・ポイントを設立

●2009年、『Japanist』を編集・発行するジャパニスト株式会社を設立(2019年1月、刊行終了)

●「遊び、学び、仕事は皆同じ」がモットー。すべからく本質を求める

■本は永遠の師匠

19世紀フランス文学から20世紀アメリカ文学、さらには現代日本文学。歴史(特に日本近代史)、あらゆる生活・芸術分野から政治・経済の分野まで、本には強いな愛着を示す

■No Music, No Life

あらゆるクラシック音楽と1950年代以降のジャズ、R&B、60年代以降のロック、ワールドミュージックなど、とにかく雑食

■生涯、美を求めたい

桃山から江戸にかけての日本美術、岡倉天心一派以降の近代絵画を特に好む。ヨーロッパの近代絵画など、こちらも雑食

■敬愛する歴史上の人物

尊敬する人物は大久保利通。ほかに幕末から明治にかけて活躍した男たち。戦国武将では武田信玄、戦後の政治家では岸信介

■思索の遊び

禅、儒学、老荘思想、マキャヴェリズムを組み合わせながら、独自の思想を構築中

■いやなもの

共産主義や日教組などの極端な左翼思想(極端な右翼も嫌い)、地球市民幻想、新興宗教

■その他

日常的に走る他、毎年夏、山に登る。体型はずっと変わらず。便利なことよりも美しさに価値を見いだす

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