死ぬまでに読むべき300冊の本
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紺碧の将

こんなふうに生きられたら、だれもが幸せになれる

file.106『日々是好日』森下典子 新潮文庫

 

 前回に続き、お茶関連の本を(私はまったくお茶を嗜んでいないのに)。

 良質のエッセイとはこういうものをいうのだろう。読みすすめるうち、気がつくと心がほっこりしている。生きていることそのものが、とても愛しい行為に思えてくる。

 樹木希林さんの主役で映画にもなったから、この作品を知る人も多いだろう。お茶を習い始めてから、どのような心境の変化があったかを、地に足の着いた文体と豊かな表現力で描いたものだ。

 読みながら思った。お茶と禅はかなりオーバーラップしていると。茶席に掛けられる軸にはたいてい禅の言葉があり、禅僧がお茶を嗜むことは珍しくない。利休だって禅に通暁していた。そう考えると、当然といえば当然のことなのだが。

 まえがきが出色の出来だ。ふだん、私が考えていることが、ものの見事に書かれている。

 ――世の中には、「すぐわかるもの」と、「すぐにはわからないもの」の二種類がある。すぐわかるものは一度通り過ぎればいい。けれどすぐにわからないものは、後になって少しずつじわじわとわかりだし、「別もの」に変わっていく。そして、わかるたびに、自分が見ていたのは、全体の中のほんの断片にすぎなかったことに気づく。――

 そして、「長い目で、今を生きろ」と結んでいる。

 そうなのだ。その通りなのだ。しかし、大多数の人は前者を得ようとする。なにかわからないことがあると、すぐにスマホで検索して答えを得ようとする。わからないものは無数にあるのだから、疑問に思うたび検索していたらきりがない。そして、答えを得ては数秒後には忘れる。いわば、答えの大量生産だ。わからないことについて、じっくり考えようとしない。かくして「考える力」は急速に衰えていく。二足歩行によって尻尾の必要がなくなり、退化してしまったのと同じように。

 それを後押しするように、著者の師匠がこう言う。

「頭で考えないの。手が知っているから、手に聞いてごらんなさい」

 つまり、頭で考えなくても自然に手が動くように、何度も繰り返し、体で覚えよということ。その動きが磨かれることによって、洗練に昇華する。

 頭で考えずに、ということは、健康管理にもあてはまる。健康法や病気に関する情報をいくら仕入れたって、体の声を聞かなかったらダメだ。現代社会はすべてにおいて頭でっかちになっていることに気づく。本コラム第102回で紹介した、宮大工と建築学者のやりとりを思い出す。

 本書は、絶好のマインドフルネス書でもある。目の前の事実は変わらないが、それをどう見、受け取るか。〝心持ち〟を変えることはできる。それが本書のタイトルの由来でもあるのだろう。

 日々是好日。例によって禅の言葉だから、これが100点満点という正解はないが、著者は本文に、「悪い天気」なんて存在しない、と記している。

 私が常日頃言っている「すぐに得たものは、すぐに失われる」「比べるべきは他人ではなく、以前の自分」などと同じような意味のフレーズに何度も出くわす。思わず、「森下さん、同感ですね」と声をかけたくなる。

 あくせくとして殺伐とした現代社会において、そのような考え方で生きている人はごく少数派にちがいない。しかし、まぎれもなく、そういう考え方で生きた方が楽だし、楽しい。

 森下さんは最後にこう結んでいる。

 ――会いたいと思ったら、会わなければいけない。好きな人がいたら、好きだと言わなければいけない。花が咲いたら、祝おう。恋をしたら、溺れよう。嬉しかったら、分かち合おう。

 幸せな時は、その幸せを抱きしめて、百パーセントかみしめる。それがたぶん、人間にできる、あらんかぎりのことなのだ。

 

 本心からそう願い、本心にたがわぬ行動ができたとき、人は〝もれなく〟幸せになれるのだと思う。

 

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