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徹頭徹尾、本質の塊

file.102『木に学べ』西岡常一 小学館ライブラリー

 

 西岡常一は、法隆寺の最後の宮大工棟梁であると同時に、日本史に通暁した社会批評家でもあり、論客だった(本人は塵ほどもそうは思っていなかったはずだが)。相手が誰であっても、間違ったことを言っていると思えば、正面から論戦を挑んでいった。特に、学者たちとの激しい論争や対立は有名で、自らの利益を顧みることなく持論を主張する姿から、「法隆寺の鬼」と呼ばれた。

 筆者は残念ながら西岡常一の謦咳(けいがい)に接したことはないが、西岡の唯一の内弟子・小川三夫氏に取材を通して交誼を結ぶようになり、西岡の偉大さを伝え聞くことができた。一次情報ではないものの、私にとってきわめて貴重な学びとなった。

 

 本書は、西岡常一の生の声が聞こえてきそうな語りおろし。それだけに、西岡の生の迫力が伝わってくる。彼がいかに厳しい人生修業の果てに独自の技術と見識を持ち得るにいたったか、その語り口から推し量ることができる。いかに飛鳥時代の工人に畏敬の念をもち、現代(当時)の軽薄短小な風潮を軽蔑していたか、行間にぎっしりと詰まっている。かといって、偏狭な老人という印象はない。自分だけ安全な位置にいて、政治の批判だけをする人たちとはまったく趣を異にする。すべてに自論があり、自然の理にかなっているのだ。これだけの誇りと気概をもっていたら、どんな人間も怖くはなかっただろう。

 本書は、まず西岡常一が案内人となって法隆寺の建築を紐解く。まるで目の前で西岡が語っているかのような臨場感がある。飛鳥の工人たちが、便利な重機もなしに、どうやってあれほど堅牢で美しい建築物をつくることができたのか不思議でならないが、西岡によれば鎌倉以降、室町、江戸と時代を下るごとに大工の腕も木材や鉄などの材料が劣化しているという。

「(寺社建築で)一番悪いのは日光東照宮です。装飾のかたまりで、あんなんは建築やあらしません。工芸品です。人間でいうたら、古代建築は相撲の横綱で、日光は芸者さんです。細い体にベラベラかんざしつけて、打ち掛けつけて、ぽっくりはいて、押したらこける。だからすぐに修理が必要になる」(本書より)

 日光東照宮に祀られている徳川家康が聞いたら腰を抜かすにちがいない。

 学者との火花散る論争も激しかった。彼には〝穏便に〟という発想はなかった。相手がどんな高名な学者だろうが、歯に衣着せぬ言い方をした。

 西岡は本書でこう語る。

「(学者は)建造物を見る考え方が根本的に違っているんですな。学者はこういうものを木の命だとか、一本一本のくせとかで見ませんのや。形や寸法だとかからばかり見てます。それでは、わかりません」

「学者というのは,ほんまに仕事という面からいうたら、どうにもならんもんでっせ。わたしは一度言うてやったことがあります。飛鳥時代には学者はおりません。大工がみんなやったんやないか。その大工の伝統をわれわれがふまえているのだから、われわれがやっていることは間違いないと思ってください」

「学者は様式論です。あんたら理屈言うてなはれ」

「仕事をしているのは、伝統の技法を伝承しているわしらや。それなのに学者が、大工の上にすわっているような顔しなはんな」

「結局は大工の造った後の者を系統的に並べて学問としてるだけのことで、大工の弟子以下ということですわ」

 学者は、法隆寺の五重塔が1400年近くも立っているという「事実」を見ようとせず、机上で学んだ学問を現場で働く大工たちに押し付けようとする。全身これ気魄の塊ともいえるような西岡に、そのような理屈が通じるはずもない。

 しかし、さすがに西岡も学者相手に理を通すことに限界を感じたのか、法輪寺再建の時はしぶしぶ鉄骨を入れるという学者の主張をのんだ。とはいえ、それを実行することはなかった。学者が現場を見に来るのは、月に一度ていど。その時だけ鉄骨を使っているように見せかけ、実際は鉄骨を構造物には組ませず、ただ(事実として)中にあるだけという手法も用いた。くだんの学者は最後まで真相を知ることがなかったという。

 また、法隆寺の金堂壁画焼損では、佐伯管主の管理責任が問われ、文部省(当時)は残った壁画を取り外して東京に保存する方針を決めた。管主の悲壮な願いを聞いた西岡はひとり文部省に乗り込み、居丈高な官僚に向かい、「壁画がなかったら魂抜かれる。法隆寺ではなくなる。持って行くなら持って行ってみろ。あんたの首をノコギリで切ってしまうぞ。どうしても強行するなら、今いる50人の大工が集まって、運び出すのを止める」と脅し、ついに案を撤回させている。オー、コワッ! 筋金入りのレジスタンスである。

 西岡常一をそんな男にした源泉は、祖父の躾と法隆寺の口伝ではないか。

 祖父常吉は、孫に大工としての基本である道具の研ぎ方を徹底的にさせた。とはいえ、そのやり方はいっさい教えない。まずは自分の体で覚えよ、ということだ。それが骨身に染みたのか、西岡は弟子の小川にも刃物の研ぎを徹底的にやらせている。道具が良くなれば、おのずといい仕事をしてみたくなるものだという人間の心理を突いている。

「頭でおぼえたものはすぐに忘れてしまう。教えなければ子供は必死で考えます。考える先に教えてしまうから身につかん。今の学校教育が忘れていることやないですか」

 西岡は現代の教育にも一家言あった。

 また、祖父は孫を農学校に入れた。生命の尊さと土の性質によって生命も変化することを学ばせようとしたという。

 農学校を卒業した孫に、常吉は1年間、米作りをさせた。西岡は学校で教えられた通りにやったが祖父は、よその農家よりも収穫が低いことを指摘し「おまえは本と相談して米作りをしている。稲と話し合いしないと稲は育たない。大工もそれと同じで、木と話し合いをしないと本当の大工になれない」と諭した。

 そんな祖父常吉は晩年、息子の楢光(常一の父)と孫常一に西岡家に代々伝わる口伝を教えた。これは口移しで教えることができない秘中の教えで、一つずつその口伝の要点を教え、10日後に質問してきちんと腹に落とし込んでいるのを確認するまで次に進まなかった。口伝のなかで、代表的なものをいくつかあげたい。

 

・伽藍造営には四神相應の地を選べ。

・堂塔の建立には木を買はず山を買へ。

・木は生育の方位のままに使へ。

・堂塔の木組は木の癖組。

・木の癖組は工人たちの心組。

・工人等の心根は匠長が工人への思やり。

・百工あれば百念あり。一つに統ぶるが匠長が裁量也。

・一つに止めるの器量なきは謹み惧れ匠長の座を去れ。

 

「堂塔の建立には木を買はず山を買へ」という教えは、木の生育のままに木材として使え、という意味だ。山の斜面の木、南向きの木、北向きの木、風の強いところで育った木、まわりになにもない一本の木……すべて特質が異なる。それを見極めて活かせば建物は堅牢になる。しかし、木を単なる木材とみなし、形や寸法だけを見て使えば、後々狂いが生じ、建物の寿命を縮めるということだ。

「木の癖組は工人たちの心組」は、木にはそれぞれ癖がある。それらを見極め、いいところを活かすことが重要という意味で、これはそのまま教育論にも援用できる。

 

 本書を通して読めば、こんな生き方もできるのだと、勇気が湧いてくる。人間として生まれた以上、なにをなすべきか。それぞれ一人ひとりが自らに問い、自分なりの答えを見つけることが充実した人生の端緒になるとすれば、本書から得られるヒントは無限にあるのではないか。いつまでも読み継がれてほしい、畏敬すべき書物である。

 

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