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紺碧の将

アイデアがたくさん散りばめられたオペラの最高傑作

file.009『歌劇「魔笛」 』W.A.モーツァルト

 アインシュタインは「死ぬことはモーツァルトを聴けなくなるということだ」と言ったくらいだから、かなりのモーツァルティアンだったのだろう。

 ほかにもモーツァルト好きはたくさんいる。かく言う私もその一人だと自認している。もし「モーツァルティアンの集い」みたいなイベントが東京ドームで開催されたとしたら、私は外野席の一番奥の立ち席くらいにいる権利はあると密かに思っている。というのも、モーツァルトが作った600曲以上(ケッヘル番号626は『レクイエム』)の大半をCDで持っているからだ。

 しかし、ふだんモーツァルトを頻繁に聴いているかといえば、そうではなく、バッハのほうが圧倒的に多い。だいたい私が聴く音楽はクラシックとそれ以外のジャンルが半々くらいの割合だが、クラシックのなかでモーツァルトが占める割合は5%ていど。ということは全体のなかでモーツァルトが占める割合は2〜3%しかないことになる。それでモーツァルティアンと言えるのかと問われれば、ぐうの音も出ないのだが。

 長年、数多くのモーツァルト作品を聴いてきて、モーツァルトの真骨頂と思えるジャンルはピアノ協奏曲だと思っていたが、最近はオペラもそれに比肩する傑作群だと思うようになった。

 なんてったって、出し惜しみがないのだ。ちょっとした短い曲もアイデアたっぷりだ。シューベルト(だったかな?)が、「モーツァルトのオペラには交響曲に膨らませられるアイデアがゴロゴロある。なんてもったいない」というような意味のことを述べていたと思うが、おそらくモーツァルトにとって曲のアイデアは、蛇口をひねれば出てくる水みたいなものだったにちがいない。

 そんなモーツァルトのオペラでもっとも好きなのは、1791年に作曲された『魔笛』だ。ケッヘル番号620が示すように、死の直前に完成させたオペラである。台本は興行主であり俳優であり歌手でもあるシカネーダーが自分の一座のために書いたものだが、彼は当時仕事がなく生活に困っていたモーツァルトに作曲を依頼した。モーツァルトは二つ返事で引き受け、わずか半年で完成させた。

 当時のモーツァルトは身も心もズタズタで、日常生活にも支障をきたすほどだったが、作曲している間は神業としか思えない集中力を持続させ、音楽史に残る傑作を書いてしまった。

 シカネーダーの興行は一般市民を対象としており、原作はもともと三流芝居用だが、途中、善と悪が入れ替わるなど、シェイクスピアや「老子」をも連想させる物語の妙がある。当時、正統なオペラはイタリア語で書かれたものと決まっていたが、その台本はドイツ語で書かれており、物語もレチタティーヴォ(語るように歌われる部分)に代えて台詞で筋を進行させるジングシュピール(ドイツ語による歌芝居や大衆演劇の一形式。オペレッタと呼ばれることもある)の形式を用いている。

 物語はとりたてて説明を要するほどのものではない。

 時は古代、舞台はエジプト。王子タミーノは大蛇に襲われ気を失うが、「夜の女王」配下の3人の侍女に助けられる。鳥を狩猟している最中に通りかかったパパゲーノは、助けたのは自分だと嘘をつき、侍女たちによって口に錠を掛けられてしまう。

 タミーノは、侍女から女王の娘パミーナの絵姿を見せられ、一目惚れしてしまう。そして女王は、ザラストロという悪人に捕らえられた娘を救い出してくれれば、娘を王子に与えると約束する。タミーノは侍女から魔法の笛を与えられ、ザラストロの神殿に行く。また、口の錠前を外してもらえたパパゲーノもタミーノについて行くことになり、魔法の鈴を受け取る。

 やがてタミーノとパミーナは、互いに運命の人だと悟る。そして、女王から悪人と言われていたザラストロは、じつは偉大な祭司であり、世界征服を企てる夜の女王から守るため、パミーナを保護していたことが判明する(ここまでが第1幕)。

 ザラストロはタミーノにパミーナを得るための、パパゲーノにも恋人を得るためのいくつかの試練を授ける。タミーノとパミーナは試練を乗り越えるが、パパゲーノは辛抱するのが苦手で、試練を乗り越えることができない。それでも魔法の鈴の力を借りて若い娘パパゲーナと出会い、恋人同士になる。

 夜の女王は侍女たちとともにザラストロの神殿に侵入しようとするが、雷に打たれ、野望は潰える。

 

 大半のオペラがそうであるように、物語は陳腐だ。

 それよりも、このオペラを音楽史に残る傑作にしているのは、曲自体の魅力に負うところが大きい。とりわけ最大の魅力は、最高難易度の歌にある。夜の女王の2つのアリアは、超絶技巧を要求される難曲であり、その表現の出来不出来によって全体の評価が上下すると言って過言ではない。「復讐の心は地獄のように燃え」の最高音の「高F」は、酸欠必至のソプラノ殺しである。当時の常識的なソプラノの声域がどのていどだったかは知らないが、それを超えた〝非常識〟な音であったことはまちがいない。

 一方、タミーノのアリア(テノール)「なんと美しい絵姿」は叙情的で優しい。さらに忘れてはならないのは、パパゲーノとパパゲーナの二重唱「パーパーパーパー」。夜の女王の歌が鬼気迫るものであるだけに、なんとも楽しげで、思わず笑みがこぼれてしまう。これぞ天性の楽天性をもつモーツァルトの真骨頂と言えるだろう。

 私がもっとも好きな夜の女王役は、スロヴェキア出身のソプラノ歌手ルチア・ポップ(1939―93年)。オットー・クレンペラー指揮/フィルハーモニア管弦楽団を従えての熱唱が凄まじい。映像はないが、以下のYouTubeで聴くことができる。

 

 

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